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Channel: 映画とライフデザイン
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映画「シェイプ・オブ・ウォーター」サリー・ホーキンズ

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映画「シェイプ・オブ・ウォーター」を映画館で観てきました。

素敵な映画である。
話すことができない1人の独身女性が、異形の生物と恋に落ちていく話というとちょっととっつきにくい印象を持つが違う。60年代前半の冷戦時代の時代設定で、スパイ映画的緊張感をもちながら、ムーディーな音楽や美術で恋愛をうつくしく映し出す。「ET」のような優しさをもつ映画だ。監督脚本ギレルモ・デル・トロの手腕が光り実にすばらしい。

1962年、映画館の上にあるアパートメントで1人暮らしをする聞くことはできるが、話すことができない障がいをもつイライザ(サリー・ホーキンズ)はアメリカの秘密機関で深夜掃除婦をやっている。同僚の(オクタビア・スペンサー)や隣人の売れない画家(リチャード・ジェンキンス)と仲よくしている。イライザはある時、仕事場の水槽の中で異類の生き物が暴れているのを見てしまう。何かと思っていたら、仕事中にその生き物が水槽から姿を現す。ゆで卵を食べさせてあげながら、手話をするとその生き物が真似をするではないか。イライザは隠れて水槽のある部屋に行き、食べ物をあげたり音楽を聞かせたりするようになる。


一方、そこで働くストリックランド大佐(マイケル・シャノン)はアマゾンで神のようにあがめられていたその生き物を連れてきたが、何かというと反発するその生き物を手なづけられずに指をかまれたことに腹を立て虐待していた。しかも、生体解剖するように上司と打ち合わせしていた。時は冷戦時代、その秘密機関にはソ連のスパイも科学者ホフステトラー博士(マイケル・スタールバーグ)として働いていた。そのロシア人も生き物に興味をもち、生き物が生体解剖にならないように、イライザが脱出をたくらむのを手伝っていたのであるが。。。


1.60年代前半のアメリカ
主人公は映画館の階上のアパートにいるという設定で、看板や映写する「砂漠の女王」などの映画が映る。テレビでは白黒の画面で人気コメディを映している。時代設定をよくつかんだ美術がいい感じだ。しかも、この映画のアレクサンドル・デスプラによる音楽はその時代を反映するイージー・リスニング的で映像にピッタリあっている。アンディ・ウィリアムズの「夏の日の恋」なんかが流れる。ラストエンディングロールにも歌われるボーカル曲「ユール・ネバー・ノウ」がよくて、なかなか席を立てなかった。

イライザがレコードプレイヤーをもってきて生き物に音楽を聞かせてあげるシーンが可愛い。

2.サリー・ホーキンズ
ウディ・アレン監督「ブルー・ジャスミン」のケイト・ブランシェットの妹役が印象的だったが、その他はあまり知らない。そんな感じで観たら、いきなりのオナニーシーンや肌を大胆にさらけ出す。話ができないというのはある意味セリフがあるよりもむずかしい。地味な掃除婦なんだけど、異類の生き物に徐々に魅かれていく。その心情が母性たっぷりに見えていじらしい。情感たっぷりである。ちょっと古いが異生物との交友を描いた「ET」にも通じる部分がある。


アパートの部屋を閉め切って、水を貯めて抱き合うシーンがいい。でもその階下の映画館の水漏れも含めて笑いを誘う。水の中に長時間もぐるのはちょっとしんどかっただろうなあ。

3.魅力的な脇役
マイケル・シャノンは悪役が続くが、毎度のことながらうまい。個人的には「ドリームホーム」の不動産ブローカー役がいちばん性に合っていた気がする。似たような題名だが「ドリーム」に続いてギョロ目の存在感が強いオクタヴィア・スペンサーはここでは亭主の話とか他愛のないおしゃべりをいつも黙って聞いてくれる主人公をかわいがる役。これもまさに適役。

「スリー・ビルボード」もよかったが、個人的にはこちらのほうが好き。

チリ映画「ナチュラルウーマン」ダニエラ・ヴェガ

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チリ映画「ナチュラルウーマン」を映画館で観てきました。

すばらしい映像美を見せる作品である。いやー今年は豊作だ。
恋人を失ったトランスジェンダーの女性歌手が、偏見や差別に負けずに生きていく姿を描く。ここではチリの首都サンティアゴを舞台に、なめるようにカメラが主人公の姿を追っていく。ストーリーの流れをつくるそれぞれの映像カットが練られてつくられている。スペインのペドロ・アルモドバル監督の作品を思わせる色彩感覚あふれる映像には、セバスティアン・レリオ監督によって丹念につくられたそれぞれのカットに対する思い入れがにじみ出ている。トランスジェンダー映画という偏見を持たない方がいい。すばらしい映像を楽しむことができる。

主人公のトランスジェンダーの女優ダニエラ・ヴェガは脱ぐとバストのふくらみが男性のようにも確かに見える。それでもしばらく見ると本当の女性のようだ。この映画では主人公以外の第三者どうしでの映像というのが少ない。ほとんどダニエラは出ずっぱりである。存在感が強い。まるでサンティアゴ観光案内のように市内のいたるところを徘徊し、その風景をバックに彼女を映し出す映像にムードたっぷりの音楽が絡む。邦題は「ナチュラル・ウーマン」としたが、これは映画の中で流れるアレサ・フランクリンの名曲からとったものであろう。この映像作りにチリ映画のレベルの高さを感じる。

アカデミー賞外国映画賞受賞は当然と思われるすばらしい出来だ。

ウェイトレスをしながらナイトクラブで歌っているマリーナ(ダニエラ・ヴェガ)は、年の離れた恋人オルランド(フランシス・レジェス)と暮らしていた。


マリーナの誕生日を中華レストランで祝った夜、自宅のベッドでオルランドは突然体調不良を訴える。意識が薄れ階段から転落したあと、病院に運ばれるがそのまま亡くなってしまう。最愛の人を失った悲しみにもかかわらず、病院の医師と性犯罪担当の女性刑事は、マリーナに犯罪の疑いをかける。そこにオルランドの元妻ソニア(アリン・クーペンヘルム)がやってくる。ふたりで暮らしていた部屋から追い出され、葬儀にも参列させてもらえない。しかも、容赦のない差別や偏見の言葉を浴びせられるのであるが。。。。

いきなり南米アルゼンチンの国境にある世界三大名瀑の一つイグアスの滝がタイトルバックに映し出される。ウォン・カーワァイ監督のゲイ映画「ブエノス・アイレス」にも映し出されるこの滝は、マリーナと亡くなった恋人が一緒に行こうとしていた滝だ。

ナイトクラブで軽快なラテンミュージックに合わせて歌うマリーナの姿やディスコで2人抱き合って踊る姿や中華レストランでの会食姿をまず映し出す。そのあと美しいサンティエゴの夜景を見渡せるマンションに移り、2人が抱き合う。その姿がスタイリッシュだと思っていた時に一気に暗転する。


監督は主人公に次から次へと容赦なく試練を与える。ひと通り疑われた後、全裸姿を刑事や医師の前にさらされたり、強い偏見をもつ元妻や息子たちのいじめにあう。そこでも絶えずマリーナの姿は映像から外れない。そして、1つ1つのカットを見るたびごとに、それぞれのカットが意味をもつことにうなってしまう。こんなに多くの種類のカットに魅せられることはそうはない。構想力豊かな監督である。すさまじい突風のために前傾姿勢をとって前に進もうとしてもなかなか進めないなんていった映像も楽しめるが、それは序の口


しかも、撮影とスクリーンの中の構図が巧みである。ワイド画面をうまくつかって昼も夜も魅力的なサンティエゴの街とマリーナを同化させる。すばらしい!



日本題にもなったナチュラルウーマンはアレサフランクリンのスマッシュヒットだが、もともとはキャロルキングの作曲、世紀の大ヒットアルバム「タペストリー」でも自ら歌っている。これはこれでいい。You Make Me Feel のセリフが耳について離れない。

映画「ペンタゴン・ペーパーズ」 メリル・ストリープ&トム・ハンクス

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映画「ペンタゴン・ペーパーズ」を映画館で観てきました。


メリル・ストリープとトムハンクスの超一流俳優の共演をスティーヴン・スピルバーグが監督する映画となれば、だれもが必見であろう。1971年ベトナム戦争が厭戦となっていた時代のアメリカで名門ワシントン・ポスト社の社主と編集主幹が報道の自由をめぐって政府に反発する姿を描いている。

メリル・ストリープとトム・ハンクスの軽めの長まわしシーンでの会話を聞いて、この映画ちょっと格が違うと2人のベテランのトークの掛け合いに引き寄せられる。「スリー・ビルボード」「シェイプ・オブ・ウォーター」も確かに傑作だが、この映画は実録物として違った意味での魅力を感じる。


いきなりCCRのジョン・フォガティーの歌声が聞こえて1966年のベトナム戦線での地上戦の場面が出てくる。アメリカ国務省の本省からダニエル・エルズバーグ(マシュー・リス)が戦況を確認に現地地上部隊に同行している。報道とは反してベトコンゲリラ部隊に苦戦を強いられている姿を見てきた。帰りの飛行機の中で戦地を視察していたアメリカ国防長官マクナマラ(ブルース・グリーンウッド)に地上戦の戦況はよくないと報告する。しかし、マクナマラは帰国後の記者会見ではそうは言えない。

数年後のある夜。政府系シンクタンクのランド研究所に勤務するエルズバーグは、ベトナム戦争の経過を記録した機密文書をコピーする。トルーマン、アイゼンハワー、ケネディ、ジョンソンと4人の大統領政権にわたって隠蔽してきたベトナム戦争に関する事実が記録されていた。

名門ワシントン・ポスト社の社主キャサリン・グラハム(メリル・ストリープ)は経営基盤が安定することを意図してニューヨーク証券取引所上場を目指していた。一方で編集主幹のベン・ブラッドリー(トム・ハンクス)は購読者を増やすためのネタを探っていた。ライバルニューヨーク・タイムズの人気記者ニール・シーハンの最新記事がでないことを気にしていた。若い社員に潜入させ、特大ネタをつかんでいることを確認した。するとニューヨーク・タイムズに、何者かがリークした文書の一部が記事になることがわかる。しかし、ニクソン政権は連邦裁判所に、ニューヨーク・タイムズの記事の差し止め命令を要求する。


ワシントン・ポストの編集局次長のベン・バグディキアン(ボブ・オデンカーク)は、以前、ランド研究所に在籍していて、リークしたのが元同僚だったエルズバーグであることを突き止める。やがてバグディキアンは、文書の全文コピーを手にいれるのだが。。。

1.厭戦ムード
この当時思春期に入り始めていた自分はロックに目覚めた。ビートルズから入って、すぐさま当時流行のニューロックのとりこになる。ブラスが基調のシカゴは大好きだった。そのシカゴは「1968年8月29日シカゴ、民主党大会」とか反戦のメッセージが強い曲を当時つくっていた。そんなころを映し出した映画の一つが「ディアハンター」である。現地での北ベトナムとの激しい戦闘と主人公が捕虜になってからのロシアン・ルーレットのシーンは極めて気味悪く、クリストファー・ウォーケンの不気味さが印象に残る。戦闘に駆り出される前に故郷で長い壮行会のシーンには若き日のメリル・ストリープも出演している。

そんな独特のムードが立ち込める。ヒッピー風長髪の若者が騒ぐ姿を映し、新聞の印字や公衆電話など小道具を使って時代の古さを示す。日本でも学生運動のいやらしさがギリギリ残っていたが、実際に戦争に若者を送り込んでいるアメリカとは緊張感が違う。

2.グラハム女史の葛藤
ニューヨークタイムズが記事差し止めの裁判所判断を受けている。今回秘密文書を入手した後で、法的問題がないかどうかワシントン・ポストの顧問弁護士を呼び出す。もしこのネタが同じ出どころだったらダメだといわれる。下手をすると逮捕される可能性もあると。しかし、報道機関としてのワシントン・ポストの存在感を示すために編集主幹ベン・ブラッドリーは記事にすることを主張し、編集がされていない秘密文書を短時間で整理して記事にまとめる。経営幹部はニューヨーク証券取引所に上場したばかりで、万一経営に影響があると困るので記事にしてほしくない。輪転機は待機している。


そこでキャサリン・グラハム社主に伺いをたてる。この映画の一番の見どころである。そこから始まる一連の動きは映画を見てのお楽しみだが、さすが大女優という貫録を感じる。今回エンディングロールのクレジットの順番が気になったが、さすがに先輩に敬意を表してかメリル・ストリープがトム・ハンクスより先だった。当然だろう。あとはスピルバーグは相変わらず子供の使い方がうまい。

映画「ウィンストン・チャーチル」 ゲイリー・オールドマン

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映画「ウィンストン・チャーチル」を映画館で観てきました。


ゲイリー・オールドマンがついにアカデミー賞主演男優賞を受賞した第二次世界大戦初頭の英国首相ウィンストン・チャーチルを描いた作品である。絶好調ナチスドイツが欧州制覇に乗り出し、当惑する英国国内の事情が映し出される。欧州に攻め入るナチスに対して、1938年のミュンヘン会談を経てネヴィル・チェンバレン首相がとった宥和政策は後世批判を浴びる譲歩といわれる。英国首相ウィンストン・チャーチルが就任した1940年5月の英国が舞台だ。

上記事実は世界史の教科書では有名であるが、ディテイルとなると知らないことが多い。チャーチル内閣と「英国王のスピーチ」で観たどもりの英国王ジョージ6世の関係を含め興味深く見ることができた。やっぱり歴史は面白い。

1940年5月、英国議会で野党労働党アトリーが高らかに演説しているシーンからスタートだ。ナチスに対して保守連立の挙国一致内閣で対抗するのは構わないが、ネヴィル・チェンバレン首相(ロナルド・ピックアップ)に対しては内閣不信任とすると。内閣不信任となると自分はやめるというネヴィル・チェンバレン首相から王室からも信頼の厚い外相ハリファックス(スティーヴン・ディレイン)が打診を受けるが、自分はその任にないと断る。そうしていくうちに海軍大臣ウィンストン・チャーチル(ゲイリー・オールドマン)にお鉢が回ってくる。


保守党と自由党を行ったり来たりしたウィンストン・チャーチルには敵も多かった。挙国一致内閣とはいえ、保守党内をまとめるためネヴィル・チェンバレン元首相と外相ハリファックスも閣内に残す。国王ジョージ6世(ベン・メンデルソーン)はむしろ外相ハリファックスを信頼していた。

そんな中もナチスドイツの侵攻はとまらない。デンマークを占領した後、オランダやベルギーも自分の配下にいれ、フランスも自軍の配下にいれつつあった。フランスのはずれカレー地方とダンケルクもすでにナチスドイツに包囲されている状況だ。フランクリン・ルーズベルト大統領に軍艦の出動を願ったが、中立性を大事にすると断られる。そんな中、イタリアのムッソリーニ総統より講和を仲介する打診が入る。当然noであるが、軍部に確認しても戦況打開の方策が見つけられない様子。外相ハリファックスは講和を進めるよう進言してきてチャーチルは悩み、条件付きで交渉を進めるように決意したとき、夜突如ジョージ6世がチャーチルに会いに来るのであるが。。。


恥ずかしながら、ネヴィル・チェンバレン首相がウィンストン・チャーチル内閣に入っていたという事実は知らなかった。というより世界史の教科書ではそこまで習わない。しかも、宥和政策をすすめていたネヴィル・チェンバレン首相と外相ハリファックスがイタリアを通じて再度ナチスドイツとの接近を図ろうとしていたことも当然知らない。英国史というのは奥深い。これらのことがあった後、半年後にネヴィル・チェンバレン首相は亡くなっているという。医療が今ほど進んでいないということもあるが、一国の首相というのはストレスに包まれているんだろうねえ。日本でも昭和天皇に解任された田中義一首相があっという間に亡くなっているのと同じだね。

1.ゲイリー・オールドマンとチャーチル
ベテラン俳優である。個人的には「レオン」で殺し屋ジャンレノと対決する麻薬捜査官役が最も好きである。手ごわい相手といった感じで、最後までドキドキさせられた。その後もいい役に恵まれたが、ここでは特殊メイクで議会演説は議会の騒乱とともに圧倒的な迫力をみせる。主演男優賞は当然の受賞であろう。


その裏側で、気難しさがある部分も見せる。映画「情婦」のチャールズ・ロートン演じる弁護士と看護婦の関係を思わせるような妻役クリスティン・スコット・トーマスとの掛け合いが絶妙で味がある。緩急自在のチャールズ・ロートンの演技と同様にわがままでアクの強いチャーチルの実態をコミカルに演じる。タイピストのリリー・ジェームスに意地悪く接しながら、次第に仲良くなっていく姿も描く。Vサインの報道写真を前にしてチャーチルと一緒に笑うシーンがかわいい。

2.サインはV
映画を見るまで、ウィンストン・チャーチルのVサインというのをすっかり忘れていた。


自分が小学生のころ、バレーボールのスポーツ根性ドラマ「サインはV」はとてつもない人気だった。クラスの全員見ていた。それと同時に、当時少年だった我々のようなおじさんが誰もが知っている有名なシーンがある。「巨人の星」の星一徹のパフォーマンスだ。

星飛雄馬の青雲高校が東京都大会を勝ち抜き甲子園に出場が決まった後で、いったんは青雲高校の監督もやった父星一徹が、新幹線に乗って東京駅から旅立とうとする息子の前に現れ、Vサインを示すシーンだ。自分が初めてVサインを知ったのはこのときだ。いかにも梶原一騎らしい場面だ。

これを40年以上ぶりに思い出せたのも楽しい。

映画「素敵なダイナマイトスキャンダル」 柄本佑&前田敦子

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映画「素敵なダイナマイトスキャンダル」を映画館で観てきました。

昭和のエロ雑誌編集長末井昭の自伝の映画化である。ダイナマイトというのは主人公が子供のころ、母親が隣家の男とダイナマイトで心中をしたというところから出ている。母親が自殺したことは主人公のトラウマになっていたが、大人になってからダイナマイトでの心中が他人との話題のネタになっているので自虐的に取り上げた題名のようだ。


ピンサロ、エロ本、パチンコ必勝法と主人公の歩んできた人生とそのバックで示す昭和の猥雑な風景から独特の匂いが立ちこめている。なかなかおもしろい。柄本佑は好演、妻役の前田敦子もかわいらしい妻を演じている。

まずは主人公末井(柄本佑)がエロ雑誌の露出度が強いと警察署で幹部(松重豊)に絞られているシーンからスタートする。


そのあとで、末井の回想がはじまる。1955年末井が育った岡山の山村エリアを映す。のどかなところだ。そこで末井の母親(尾野真千子)が隣家に住む男とダイナマイト自殺を図る。父親と懸命に方々探したのにあったのは粉々になった死体であった。その後、近所で白い目で見られたので1965年学校を出ると、すぐさま工員になるべく大阪に向かう。

大阪では徒弟状態でこき使われて、すぐさま川崎に出稼ぎに出ている父親のもとへ移る。川崎の工場も封建的な状態であった。父親は荒れた生活をしているので、イヤになり1人住まいをする。牛乳配達をしながら工員をやっていた。そのころ同じ下宿先で牧子(前田敦子)と出会う。そのあと、グラフィックデザインの専門学校に通学した後、デザイン会社に勤める。そこで仲良くなった先輩が描いたキャバレーの看板に魅せられ、キャバレーの広告作りに職を得て勤め始める。


独特なエロなタッチが受けて、ほかのピンサロからも描いてくれと言われる。そのあと、エロ雑誌の編集長になる。エロ写真に交じって、有名著述家からの書いた原稿が入った変わったエロ雑誌作りで次第に人気雑誌となるのであるが。。。


学校秀才でない裏街道まっしぐらの人物の話は楽しい。エロ雑誌サブカルチャー世界では成功者であろう。ピンサロ看板からエロ雑誌編集と少しづつ生活をランクアップさせている。自分の記憶にはないが、「写真時代」は30万部超も売れたようだ。羽振りもよくなる。そういう下半身産業での成長?物語にトラウマになったダイナマイト事件当時の映像を混ざらせ、雑誌社の新人社員との浮気や商品取引での大失敗や飲み屋のママからの無尽につきあって店の改装に散在させられるなどの荒れた生活も描いている。


こうなりたいという人物ではない。でも見ていて楽しい。

映画「泥の河」 小栗康平&田村高廣

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映画「泥の河」を名画座で観てきました。

宮本輝の原作は未読、キネマ旬報ベスト1などやたらに評価が高いのにDVDレンタルにはみあたらない。チャンスがなかったが、白黒映画特集でやっていることに気づく。仕事を抜け出して観てきました。


昭和31年の大阪のドブ川の側で暮らす小学校3年生の少年2人の友情を基調に、戦後を引きずった社会の底辺で生きる人たちを描いている昭和56年の作品だ。このころはエリアによってはまだ戦後を引きずったエリアがまだ残っていたのであろう。少年2人と少女をとらえるカメラアングルが巧みで、天神祭りの祭り船をふんだんに見せているところもよい。まさしく泥の河というように、主人公のうどん屋からも次から次へと生活雑排水や汚物が捨てられる。そんなシーンの連続に懐かしさをおぼえる。

昭和31年大阪のドブ川のほとりでうどん屋を営む一家を映し出す。夫板倉晋平(田村高廣)と妻板倉貞子(藤田弓子)と小学三年生の息子信雄で暮らしていた。店に食事に来ていた荷車のオッチャン(芦屋雁之助)が馬車にはねられて死んでしまう。荷車に積んでいた鉄を持ち去ろうとする少年がいた。その少年喜一は向こう側の岸にあるぼろい船で生活していた。父親はこれが廓船と気づいて、息子には行くなといっていた。

それでも、同じ年の子供どうし仲良くなって、向こう岸の船に遊びに行くことになった。うっかり信雄は船の側で転んでしまったが、姉の銀子がいてやさしくしてくれた。奥に母上がいるようだったが、出てこなかった。そのあと、逆に遊びに行っていいかと言われ、姉を連れて喜一がうどん屋に遊びに来た。娘のいない夫婦は大歓迎だ。ところが、食堂に飲みに来ていた心ない酔客があの船で客引きをやっている子供じゃないかという。夫婦はその酔客を追い出す。

喜一は学校に通っていないという。信雄は自分の小学校の学友を紹介しようとするが、拒否され憤慨する。そのあと信雄はまた喜一の船に遊びに行った。母親の声が聞こえる。こちらにおいでと言われて、入っていくとまばゆいばかりの美しいつやっぽい母親(加賀まりこ)がいた。

1.水上生活者
大映映画「女経」で若尾文子が自由奔放に生きるホステスを演じるのは、下町の河で暮らす水上生活者の娘という設定だった。「女経」は昭和35年の映画だ。ここでも母と姉弟の3人で船暮らしている。船頭だった父親は亡くなっている。自分の感覚ではピンとこないけど、まだまだ昭和30年代には水上生活者っていたんだろうなあ。それと同時に川岸で暮らす主人公のような人たちもいるんだろう。でもこの川岸のうどん屋台風が来たら一発アウトって感じがするけど、どうなんだろう。

2.戦争の足跡
戦争を引きずるのはうどん屋の店主晋平だけでない。小学校3年生の喜一が軍歌を歌うのだ。「ここはお国を何百里 離れて遠き満州。。。」と戦友を1番だけでなく次も正確に歌ってみせる。それを聞いていた店主晋平が思わず、自分の満州の想い出に浸る。きっと少年喜一の父親が歌っていたんだろう。いくつかのシーンで戦争を引きずっている人が多数出てくる。「もはや戦後ではない」という有名な経済白書の新聞欄まで映し出すが、実際にはこういう川岸で生活する人たちにとっての戦後の終了は大阪万博過ぎまで変わらなかったのであろう。


3.加賀まりこの見せ方
映画「ジョーズ」では、サメに被害にあった海水浴客とかは映るがなかなかサメが現れない。1時間以上現れない。それとある意味一緒だ。食堂の息子信雄は友人喜一の船に行く。姉にも会うが、声が聞こえど母親が出てこない。しばらくはそれでストーリーが進む。そのあとでようやく出てくる。


はじめは着流しの浴衣を着た後ろ姿だけだ。そのあとでようやく妖艶としか言いようにない加賀まりこを見せる。この勿体つけ方がうまい。もう一度重要場面で現れるが、最初の見せ方はぴか一だ。

映画「孤狼の血」役所広司と松坂桃李

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映画「孤狼の血」を映画館で観てきました。

昭和の広島を舞台にしたやくざ映画というと「仁義なき戦い」を連想する。しかも、白石和彌監督の一連の作品「日本で一番悪い奴ら」「彼女がその名を知らない鳥たち」はいずれも自分もお気に入りだ。今回は広島県の架空の街呉原市のマル暴担当刑事の2人役所広司と松坂桃李が主人公、それを江口洋介、真木よう子、石橋蓮司、ピエール瀧などが脇を固める。観てみると、予想以上におもしろい。ストーリーは単純そうで、そうはならない意外性がある。

昭和63年、広島の呉原では暴力団組織が街を牛耳り、新勢力である広島の巨大組織五十子会系「加古村組」と地元の「尾谷組」がにらみ合っていた。ある日、加古村組関連の金融会社の社員が行方不明になる。ベテラン刑事の刑事二課主任・大上章吾(役所広司)巡査部長は、そこに殺人事件の匂いをかぎ取り、新米の日岡秀一(松坂桃李)巡査と共に捜査に乗り出す。


いきなり養豚場が映し出され、若い男がリンチにあっている。豚のクソを食べさせられたり、ひどいもんだ。指を詰められたりした挙句殺される。これが金融会社の社員だ。その人間が行方不明になり、マル暴の2人が動き出しているが、怪しいと思われる組関係者はなかなか口を割らない。携帯電話のない黒電話で、捜査員たちがたむろう部屋では机でみんなタバコを吸っている。いかにも昭和らしい猥雑な雰囲気の中話が進んでいく。

1.「ベテランと未熟者」の対比を描く刑事もの
若い刑事とベテラン刑事がチームを組んで犯罪捜査にあたる。このパターンは古今東西の警察アクション映画の定番だ。日本でいえば、黒澤明監督の「野良犬」で志村喬と三船敏郎のコンビ、デンゼルワシントンが悪徳刑事を演じてアカデミー賞主演男優賞を受賞した「トレーニングデイ」が自分のお気に入りだ。いずれも「ベテランと未熟者」の対比を見事に描いている。


この映画はむしろ「トレーニングデイ」に近い。役所広司の悪徳刑事ぶりが、麻薬組織の元締めに入り込み、金や麻薬を平気で横領するデンゼルワシントンの腐敗刑事ぶりに通じる。銃を乱射し、イーサンホンク演じる若い刑事に平気で強い麻薬を吸わせる。ここではいつものデンゼル・ワシントンと違い徹底的にワルに徹していた。多分作者は影響を受けたのではないか?

2.役所広司の悪徳刑事ぶり
ヤクザから平気で金をもらったり、捜査のためには平気で放火したり家屋に不法侵入する。行方不明の男を探してくれとやってきた女を取調室でやってしまう。このパフォーマンスは深作欣二監督、菅原文太主演「県警対組織暴力」で、松方弘樹演じるやくざ組織の幹部とつるみ、若いヤクザを手玉に取る刑事ぶりを思わず連想してしまう。


県警本部から派遣された松坂桃李演じる若い刑事は、本当は役所広司演じる刑事を内偵するように本部の警視から指示されている。いい加減で腐敗に満ち溢れている大上刑事に嫌気がさし、何度も処分してくれと警視に訴えるが、大上刑事は泳がされたままだ。そして行為もエスカレートしていくのだ。ヤクザがペニスに入れ込んだ真珠を素っ裸にして抜き取ってしまうシーンには笑える。

それを演じる役所広司もうまい。深作欣二作品での菅原文太よりも悪い存在かもしれない。やりすぎという感じもあるが、ワルを演じる役所広司の存在が強烈なスパイスとなって効いてくるのだ。

映画「ファントムスレッド」 ダニエル・デイ・ルイス&ポール・トーマス・アンダーソン

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映画「ファントムスレッド」を映画館で観てきました。

オスカー男優賞3回受賞のダニエル・デイ・ルイスがポール・トーマス・アンダーソン監督と新作を出したという。しかも、ダニエル・デイ・ルイスにとって引退作品になるとなれば、観に行くしかない。2人がコンビを組んだ「ゼア・ウィル・ビー・ブラッド」で見せた猛獣のように荒れ狂う石油掘削師を演じたダニエル・デイ・ルイスには驚いた。あまりの衝撃にブログにアップアップできていない。

今回は1950年代のロンドンを舞台にオートクチュールばりの高級仕立て屋のデザイナー兼オーナーをダニエル・デイ・ルイスが演じる。ジョニー・グリーンウッドの実に優雅な音楽をバックに、田舎のウェイトレスだった若い娘と主人公の交流を描く。今回のダニエル・デイ・ルイスは繊細で荒々しさはない。優雅に映画が進んでいく中で、途中で偏愛のムードが広がる。ミステリーではないが、そのムードを残したままで映画は終盤に進む。美しいドレスが見れるという視覚的要素に加えて、ストリングスとピアノ基調の音楽があまりにも素晴らしく快適な瞬間が過ごせる映画である。


1950年代のロンドン。英国ファッションの中心に君臨し、社交界から脚光を浴びる高級仕立て屋ウッドコックのデザイナー兼オーナーのレイノルズ・ウッドコック(ダニエル・デイ・ルイス)は姉シリル(レスリー・マンヴィル)とともに経営していた。


仕事に疲れたレイノルズは休養をとろうと郊外の別荘に向かった時、町のレストランでウェイトレスのアルマ(ヴィッキー・クリープス)と出会い魅かれる。素朴な彼女を別荘に誘ったあと、彼女を新たなロンドンに迎え入れる。彼女をモデルに昼夜問わず取り憑かれたようにドレスを作り続けた。

しかし、アルマの気持ちを無視して無神経な態度を繰り返すレイノルズに不満を募らせたアルマは、ある日とんでもない行動に出るのであるが。。。

1.偏愛
2人が出会ったのは田舎のレストラン、朝食のオーダーを取りに来たアルマにレイノルズが魅かれるのが最初だ。デートの後別荘に行き、レイノルズは採寸してドレスをつくってあげる。そうしていくうちにロンドンの自宅兼仕事場の一角で暮らすようになる。この映画の最初に若い女性がかまっているのをレイノルズが嫌がるシーンがある。姉と一緒に仕事をしているが、こうして女が代わるのを姉は容認している。

そうして、2人の関係は深まっていくが、レイノルズには取り巻きが多いし、社交界からももてはやされている。2人きりということはない。姉が小姑のように若い娘をいじめるかというとさほどでもない。それでも、2人きりになれないもどかしさを感じ、アルマは2人きりの会食の時間をつくろうとするが、それはそれでレイノルズのルーティーンにあわない。そうしていくうちにアルマはあることを思いつく。

毒キノコを切り刻んで飲み物の中に入れるのだ。ベルギーの王女のウェディングドレスの製作に取り掛かっていたレイノルズは効いてきた毒キノコの毒のせいで倒れたら、ウェディングドレスを汚してしまう。みんなは大慌て。


そこでアルマは献身の看病をする。それだったら、そんなことしなくてもいいのにと思うが、違う。自分だけのものにするための1つの行為なのだ。これも高等な手段としか言いようにない。まさに偏愛だ。しかも、この映画はこの逸話だけでは終わらない。飼いならす女になるアルマが見物だ。

2.ポール・トーマス・アンダーソン
前回「インヒアレント・ヴォイス」は私立探偵ホアキン・フェニックスを主演にした70年代の音楽を基調にその時代のムードが漂う猥雑な感じだった。今回は優雅な世界を描くせいか、TV「皇室アルバム」のバックにバロックが流れるがごとく、やさしく美しいストリングスが素敵な音楽をバックに映像を映す。故フィリップ・シーモア・ホフマンを新興宗教の教祖様にした「マスター」も視覚的な要素を楽しめたが、この映画もより高尚な雰囲気が漂う美しさを持つ。

ポール・トーマス・アンダーソンインタビューより
作品については、「本作はゴシックロマンスに近いといえる。そういうジャンルで人気なのは、『レベッカ』や『ガス燈』などだ。ロマンスと危険な要素という組み合わせが魅力的な作品だね。我々は、そこにユーモアを加えた。昔のゴシックロマンスにはユーモアが欠けているから、本作は“ゴシックロマンス・コメディ・ドラマ”かもね(笑)」(映画com引用)


『レベッカ』や『ガス燈』のジョーン・フォンテイン、イングリッド・バーグマンいずれも映画界の歴史を代表する美女だ。そこでは2人とも恐怖におびえる。その2つとミステリー的要素は通じるが、今回我々をドキドキひやひやさせるのはアルマのヴィッキー・クリープスである。しかも前の2人ほど美女ではない。姉役のレスリー・マンヴィルは巧い演技をみせるが、「レベッカ」の怖いお手伝いさんダンヴァース夫人的色彩に見えてそうならないのがミソ。それもあってかヴィッキー・クリープスが際立ち、オスカー俳優ダニエル・デイ・ルイスと均衡する演技すら見せる。いい感じだ。

映画「笑う故郷」

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映画「笑う故郷」はアルゼンチン、スペイン合作の作品である。


ノーベル文学賞を受賞した作家が故郷のアルゼンチンの小さな町に帰った時に起こるドタバタを描いている。
平昌オリンピックでメダルをとった選手たちが故郷に帰るとパレードで大歓迎される。そんな構図はテレビで見てきた。仙台で10万人を超える見学者が出たという羽生さん、北海道のそれぞれの町で歓迎を受けた高木姉妹やカーリングの選手など。この映画のノーベル賞作家ダニエルもいったんは歓待を受けるが、そのあとはあまりいいことが続かない。それどころか大変な災いを被る。そんな話である。

スペインマドリードに住むノーベル文学賞を受賞した主人公ダニエルは自作が書けずモヤモヤしていた。そんな彼には講演依頼が殺到するが、引き受けることはなかった。長年戻っていない故郷アルゼンチンの町から名誉市民として表彰したいという便りがくる。これだけはという思いから、1人向かうこととなる。 ブエノスアイレスから車で7時間もかかる道を車で向かうが途中でタイヤがパンク。前途多難と心配する。


現地に着くと、市民が集まる中歓迎集会が開かれ、ミスコンの女王、市長から表彰を受け、たいへんな名誉とダニエルは感激する。そのあとは消防車で凱旋パレードだ。そのあと、昔好きだった彼女と再会する。


彼女は同じ幼なじみのアントニオと結婚していた。他にも美術展のコンクールの審査員になったり、方々から金の無心を受けたりと忙しい。しかも、ホテルの部屋にファンだという若い女の子が乱入してくる。

それにしても、途中から主人公が故郷の人から仕打ちはやってられないの一言だ。でもそれらの話が最後のオチでゲームセットになる。ここでは書かないが、これこそ笑えてしまう。

この作品を見て思い出すのは、中国の作家魯迅「故郷」である。自分が中学校を卒業してから40年以上たつのに 中学3年生の教科書に今でもあるというのもすごい。実際訳もいいのか趣がある。国語の授業でのやり取りがいまだに脳裏に残る。主人公がしばらく離れていた故郷に帰ってみると、荒れ果てていて昔の面影がない。仲良しだった旧友も落ちぶれている。こんなはずではなかったという話はまさにこの映画「笑う故郷」に通じるではないか。おそらくは、原題『名誉市民』と違うこの題をつけた人は明らかに「魯迅」を意識したと感じる。

「思うに希望とは、もともとあるものともいえぬし、ないものともいえない。それは地上の道のようなものである。もともと地上には道はない。歩く人が多くなれば、それが道になるのだ」(魯迅 故郷の一節)
このフレーズは印象的であった。このフレーズに対しての感想を述べたら、国語の女教師から絶賛された思い出があるので忘れられない。

何で魯迅の「故郷」が中学校3年の教科書に今もあるのか?小中学校時代、成績が悪い人もいい人もいて、いい意味でフラットな立場だったのが、進学校に進学する人もいれば、昔であればそのまま中卒で就職する者もいる。その人たちがいずれ故郷に戻り、再会するときまでに、それぞれが道をつくってほしいという希望を教育者たちがもっているからなのであろうか?

この映画を見てそんなことを思った。

映画「万引き家族」 是枝裕和&リリー・フランキー&安藤サクラ、

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映画「万引き家族」を映画館で観てきました。

カンヌ映画祭パルムドールを受賞した是枝裕和監督の作品である。先行公開であるが、当然映画館に向かう。題名からして社会の底辺の人たちを描いているのは読み取れる。しかし、この家族は本当の家族ではない。かといって、園子温の「紀子の食卓」の『レンタル家族』とも違う。リリー・フランキー、安藤サクラ、樹木希林の3人がそろっただけで映画の質の高さが想像できる。

いきなりスーパーでリリー・フランキーと息子と思しき子供がコンビを組んで、監視員の目をかいくぐり巧みに万引きを成功させるシーンが映し出される。観客にまず印象付けるのだ。家ではその成果品を持ってくるのを待っている昭和の匂い漂う古家に住む3人の家族がいる。一連の是枝作品と似たような展開と感じながら、話の流れを追う。

再開発が進む東京の下町のなか、ポツンと残された古い住宅街に暮らす一家。日雇い労働者の父・治(リリー・フランキー)と息子の祥太(城桧吏)は、生活のために“親子”ならではの連係プレーで万引きに励んでいた。

その帰り、団地の廊下で凍えている幼い女の子を見つける。思わず家に連れて帰ってきた治に、妻・信代(安藤サクラ)は腹を立てるが、ゆり(佐々木みゆ)の体が傷だらけなことから境遇を察し、面倒を見ることにする。祖母・初枝(樹木希林)の年金を頼りに暮らす一家は、JK見学店でバイトをしている信代の妹・亜紀(松岡茉優)、新しい家族のゆりも加わり、貧しいながらも幸せに暮らしていたが……。 (作品情報引用)


最近話題の幼児虐待もこの映画のポイントだ。団地の外でたたずむ少女の身体にはやけどの跡がある。きっと食べ物をろくに食べさせてもらえないのかと感じ、家に引っ張り思い切り食べさせると、夜にうんこを漏らしてしまう。自宅に返そうとしたら夫婦喧嘩の声を聞き、もう一度戻してしまう。これも一種の誘拐だが、これを見て悪いことをしていると感じる観客もいないだろう。ときおり、幼児虐待の事件をテレビニュースで観て、なんと無責任な奴らと感じるが、かわいそうなのは子供である。


フランスの著名な新聞『フィガロ』がカンヌパルムドールという栄誉ある賞の受賞を安倍総理大臣が祝福しないのはおかしいという記事を書いている。しかし、この映画を見ていて、政治が悪いからこんな奴らがいるんだという主張があるようには見えない。社会のひずみでこういうドロップアウトした連中というのが一定数必ずいるもんだ。これは古今東西必ずいるわけで、政治のせいでも何でもない。格差社会というなら、その昔はもっと貧しく、こういう人たちはもっといた。安倍さんも気にせずに祝福すればいいのにと思う。それともバカな昭恵夫人の一言余計なパフォーマンスを恐れているのか??

印象的なシーンがいくつかあった。柄本明が営む駄菓子屋でよく翔太が万引きをしていた。今回もつれてきた女の子と一緒に店に入ってきて、女の子が万引きをする。見て見ぬふりをしていた店主も、「妹にこんなことをさせるなよ」とアイスキャンディーをよこすシーンがある。これをきっかけに翔太に心境の変化が起こる。脳裏に残るシーンだ。

あとは、リリーフランキーと安藤サクラがちょっかい出しながら、くっついてしまうシーンだ。油がのった30代の熟れた身体をあらわにする安藤サクラもなまめかしいが、子供たちが帰ってきて真っ裸の2人が大慌てするシーンがおかしい。

映画「ギフテッド」 クリス・エヴァンス&マッケナ・グレイス

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映画「ギフテッド」は2017年公開のアメリカ映画


孤児になってしまった数学の天才少女をめぐり、育ての親である叔父とその叔父や実母の親である祖母の間で娘の養育権を争うという話である。誰が育てるのが望ましいという問題提起がストーリーの根底に流れる。

独身のフランク(クリス・エヴァンス)は、フロリダの海辺の町でボートの修理で生計を立てながら、生後すぐに母(=フランクの姉)を亡くした姪のメアリー(マッケナ・グレイス)と、片目の猫と楽しく暮らしている。メアリーが7歳になり学校に通い始めて間もなく、数学の“ギフテッド(天才)”である彼女は問題児になってしまう。周りは特別な教育を受けることを勧めるが、フランクは「メアリーを普通に育てる」という姉との約束を守っていた。しかし、天才児にはそれ相応の教育を望むフランクの母イブリン(リンゼイ・ダンカン)が現れ、フランクとメアリーの仲を裂く親権問題にまで発展していく


小学校に少女が通うようになるが、彼女にとって初歩しか教えない授業は退屈だ。周りは1桁の足し算がやっとなのに、2桁の足し算や掛け算をスラスラ答える。担任は驚く!もっと難しいレベルの問題を担任が与えてもこなす。父親はよくバーでたむろっている優男だ。

担任は名前をネットで追っていくと、同姓に数学の天才女性の名前を見つける。どうやら、その数学の天才女性は少女の母親で、父親と称している男はその数学の天才女性の弟ということがわかる。この親の元で育った方がいいのか?一般レベルに合わせた授業を受けるのではせっかくの数学の才能がもったいないのでは?と担任教師は男性に近づいていく。



数学の才能が天才的でという設定は意外に多い。どれもこれも面白い。ここで他とちょっと違うのは、少女が快活で明るく人の気持ちもわかるということ。映画にでてくるこの手の天才は、人付き合い苦手な自閉症タイプが多い。この辺りがちょっと違うかな?

それにしても、こんな小さな女の子が難しい数式を書くのはたいへんだったのでは?∫∫積分マークにせよ、指数関数 の底eやそのべき乗 など、普通の数字すら書くのがやっとな女の子が普通は書けないよね。微分方程式が好きだなんて出てくる。父親もそれなりの素養があるとはいえ、7歳までほぼ独学でここまでのレベルまで達することができるかどうかは疑問だな。突っ込むとなるとそこだ。

でも、その天才少女を普通に飛び級で大学レベルまでの教育をさせてしまうシステムがあるのが、日本とアメリカの違い。公平という言葉が浸透してしまい、なかなか日本では難しいが、これから先はどうなるのか?


映画にスパイスを与えるのはアフリカ系名女優オクタビアスペンサーだ。どの映画に出ても特別な存在感を示す。隣人で主人公の数少ない理解者だ。そんな隣人がいても母親と息子が争う。その対決を法廷で行うということに別に金がからんでいるわけではない。双方に言い分がある。どちらもごもっともだ。こんなパターンいやだな。

映画「否定と肯定」レイチェル・ワイズ

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映画「否定と肯定」は2017年の英国映画


二次世界大戦中のホロコーストといえば、ナチスドイツによるユダヤ人虐殺として繰り返し取り上げられる。当時のナチスドイツ幹部は戦後生き延びても捕まって裁判を受け裁かれる。ハンナアーレントの映画では逃げ切れず逃亡先で捕まった元ナチス幹部アイヒマンの裁判がテーマになった。

ところが、アウシュビッツ刑務所でのユダヤ人惨殺が本当にあったのかと異議を唱える学者もいるという。英国の歴史学者デイヴィッド・アーヴィングだ。その学者がホロコーストの悲惨さを訴える学者デボラ・リップシュタットに対して、自分への批判を名誉毀損として訴える裁判を起こすというのがこの映画の主題だ。南京大虐殺があったか?なかったか?という話のドイツ版というべきか。

1994年、アメリカのジョージア州アトランタにあるエモリー大学でユダヤ人女性の歴史学者デボラ・E・リップシュタット(レイチェル・ワイズ)の講演が行われていた。彼女は自著「ホロコーストの真実」でイギリスの歴史家デイヴィッド・アーヴィング(ティモシー・スポール)が訴える大量虐殺はなかったとする“ホロコースト否定論”の主張を看過できず、真っ向から否定していた。アーヴィングはその講演に突如乗り込み彼女を攻め立て、その後名誉毀損で提訴という行動に出る。


異例の法廷対決を行うことになり、訴えられた側に立証責任がある英国の司法制度の中でリップシュタットは〝ホロコースト否定論“を崩す必要があった。彼女のために、英国人による大弁護団が組織され、アウシュビッツの現地調査に繰り出すなど、歴史の真実の追求が始まった。

そして2000年1月、多くのマスコミが注目する中、王立裁判所で裁判が始まる。このかつてない歴史的裁判の行方は…(作品情報引用)


最初はこんなの相手にするな!と主人公のユダヤ人教授リップシュタットは無視していたら、虐殺はなかったとするアーヴィング教授自身が大学の講義に乱入して反論を述べたり、巧みなマスコミ誘導で主人公に不利な場面をつくる。しかも、訴訟を提起した場所は英国である。英国では被告人が自分の無罪を証明する反証を出す必要がある。相手は手強い。これまでもこういう裁判を乗り越えてきた。一流の弁護団と乗りきる必要がある。手弁当という訳にはいかない。金も必要だ。それでも、全世界に散らばるユダヤ人から援助の申し出がある。入念に準備して裁判に立ち向かう。


悪戦苦闘を描いた映画だ。
映画でも取り上げられるが、アウシュビッツ刑務所内でのホロコーストの指摘に対して、細かい矛盾点をピックアップしながら原告アーヴィング教授は対抗者を論破して乗り切ってきた。被告人であるリップシュタットのもとには自分が証人台に立つという被害に遭われた人たちが訪れる。彼女は証人として被害者を登壇させようとする。しかし、それは原告の思うツボだと言って、弁護団は断固拒否する。当惑する主人公だ。何で被害者を証人申請できないのと訴えてもダメだ。どうやってしのぐのであろう。


法廷劇としては見ごたえがある映画だ。映画「情婦」のチャールズ・ロートンの緩急自在な演技を思わせる法廷弁護士のトム・ウィルキンソンの名演が光る。ただ、どうしても主人公に共感できない。嫌いなタイプの女だ。常に女のいやらしいところばかりさらけ出す。そんなところは苦手だ。

映画「レッド・スパロー」 ジェニファー・ローレンス

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映画「レッド・スパロー」は2018年公開のアメリカ映画


ジェニファー・ローレンスがスパイを演じるという。おもしろそうだ。アカデミー賞主演女優賞を受賞して着々と大女優の道を歩むが、まだまだ若い。とっさにシャーリーズ・セロンが最近演じた「アトミックブロンド」を連想する。ここでのセロンはムキムキの筋肉派できっちり鍛えて迫力ありなかなか見ごたえがある。それと比べると、若干落ちるかな。ただ、脇役陣がなかなか個性的でいい味を出しているのに助けられている。

ボリショイ・バレエ団のドミニカ(ジェニファー・ローレンス)は、本番中に負った大怪我により再起不能になってしまう。ロシア情報庁幹部の叔父・ワーニャ(マティアス・スーナールツ)にある弱みを握られた彼女は、スパイの養成学校に送られ、自らの肉体で相手を誘惑し、心理操作する技術を学ぶ。スパロー(女スパイ)となった彼女に与えられた任務は、ロシア情報庁の上層部に潜む、アメリカとの内通者を見つけ出すことだった。その人物と通じているCIA捜査官のナッシュ(ジョエル・エドガートン)にブダペストで接触すると、2人は強く惹かれ合うようになる。そしてアメリカのみならず、母国からも命を狙われる立場になってしまう。(作品情報引用)


話のテンポは序盤からわるくない。最初バレリーナだった主人公の可憐な姿を映し、舞台上での接触事故で足を大けがする様子やその後後任のプリマドンナが男性ダンサーと親しくするのを見て、大暴れした後に別の道に入っていく姿を簡潔に映し出す。

その後の養成所での鍛錬が面白い。素人がスパイに育て上げられる過程の話はたまにある。でもハニートラップを含めた教育というのは意外に少ない。男を骨抜きにして秘密を得るためのスパイ指導をするのがシャーロット・ランプリングだ。これがなかなかいい味をだしている。


シャーロットランプリングといえば、最近では老人同士のふれあい映画で見かけることが多い。フランソーズオゾン監督映画でいい味を出す。自分でベストと思うのは、ポールニューマン主演「評決」である。当時まだ30代、これがまたいい女だ。できの悪いポールニューマン演じる弁護士が不利な訴訟に立ち向かう中、謎の女が現れ、適切な助言を与えてストーリーメイキングをする。今とは想像できないくらい色っぽい。

ジェニファーローレンスもかなりいいギャラをもらっているであろう。昔の東映で池玲子や杉本美樹が演じたような軽く汚れたお色気シーンもこなす。シャーリーズ・セロンのようなシャープさはない。脂もタップリのっているような全裸もご披露する。ワニ分署の若き日の横山エミーを連想させる。この辺りは目の保養だが、シャーロットランプリングがご指導する心理戦を身につけ、徐々にプロになる。研修後の実技も含めて見ていて面白い。


そこに絡むのはロシアの情報局の幹部である主人公のおじさん役マティアス・スーナールツだ。これがプーチン大統領に似たいかにもロシア人ぽい顔である。でも、喋るのは英語、仕方ないけどなんか不自然。それでもこの男もいい味を出す。

最後に向けては途中で結末が見える。昔フランス映画で「密告」というアンリ−ジョルジュ−クルーゾー監督の傑作があったが、街中を騒がせる告発文書を書いているのは誰か?と真犯人を追う映画だ。途中まで読めなかったが、ある時点で「密告」と同じだなと思う。ストーリーの定跡にかなった展開だった。

映画「悪女」

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映画「悪女」は2017年日本公開の韓国映画


韓国得意のクライムアクションだ。小さい頃から格闘の訓練を受けてきた女が、犯罪組織から国家の秘密警察へ立ち位置を変えながら、敵味方入り乱れる争いに巻き込まれる話である。スタントもいるであろうが、主人公はスタミナのいる格闘シーンをこなす。悪女というと、一連の「ゆりかご」や「蜘蛛女」のレナオリンのような女を思い浮かべる。この映画は違う。強い女だけど、悪い女ではない。

犯罪組織の殺し屋として育てられたスクヒ(キム・オクビン)は、育ての親ジュンサン(シン・ハギュン)にいつしか恋心を抱き、結婚する。甘い新婚生活に胸躍らせていた矢先、ジュンサンは敵対組織に無残に殺害されてしまい、逆上したスクヒは復讐を実行。しかしその後、国家組織に拘束されてしまい、政府直属の暗殺者として第2の人生を歩み始める。やがて新たに運命の男性に出会い幸せを誓うが、結婚式の日に新たなミッションが降りかかり――(作品情報引用)


いきなり格闘シーンから始まる。カメラは大勢いる相手のみを映す。ゾンビのように次から次へと敵が現れるが、バッタバッタと倒していく。これは強いな!と思わせるシーンで観客の目を引かせる。ようやく女が映像の中に姿を現すのはしばらく経ってからだ。ゴツイ難敵と戦う場面となる。猛獣のような相手だ。それでも徹底的にやり尽くした後で階下に降りる。そこには警察官が大勢で待っていた。さすがに身柄を拘束される。


時間軸を前後に軽く振る。いくつかの回想シーンを交える。最初の格闘が何であったか?ということを説明するかのように。元々ある犯罪組織で格闘訓練された女だ。小さい頃に親が刺客の襲撃を受け、一人ぼっちになり、怪しい組織の中で育つ。そして育ての親が敵対組織にやられた後で、復讐のためヤクザ組織に乗り込むのだ。スタートはそのシーンだ。


結局警察に捕まる。懸命に留置所からの脱出を試みるが追手に捕まる。できる女と見込まれ、国家の秘密組織で訓練を受ける。女だけの組織だと意地悪な奴もいる。それもかわしながら、プロとしての力を蓄える。そして、これを終えたらシャバに戻してやると言われ、射的を定めると、そこには見慣れた男の顔があった。


アクションシーンが凄い。全速力で映画の間中駆け抜けるキム・オクビンは魅力的な女だけど、それを演出する監督の腕も大したものだ。

映画「かくも長き不在」 アリダ・ヴァリ

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映画「かくも長き不在」は1961年のフランス映画


かくも長き不在という映画の名前はキネマ旬報ナンバー1になったということで聞いたことがある。dvdがなくご縁がなかった。tsutaya復刻というのはいつもながらありがたい。デジタル化されたせいか、実に映像が鮮明だ。名画座で擦り切れたようなフィルムを見るよりはマシだ。

戦争で離れ離れになった夫が16年の年月を経て、妻の目の前に現れるが夫は記憶喪失になっているという話である。

アルジェリア戦線の話がちまたの話題になる1960年代前半のパリ、カフェを営む女主人エリーズ(アリダ・ヴァリ)は切り盛りよく客をさばいている。まわりには彼女をお目当てにしている男も多い。そんな彼女の店の前を1人の浮浪者(ジョルジュ・ウィルソン)が通りすぎる。たまたま見つけて驚くエリーズ、16年前戦争をきっかけに別れた元夫にそっくりである。 店の女店員に声をかけさせ、冷たいものを飲みませんか?と店の中に連れ込む。エリーズはこっそり隠れて男を見る。どうやら間違いないようだ。と思った隙にいつの間にか飛び出している。


エリーズは男の後をずっと追う。すると、 雑誌や本を街でひろいながら 河のそばの掘立小屋で生活していることがわかる。おそるおそる様子をうかがう。男は毎日のようにエリーズの店の前を通っていた。勇気を振り絞って男に声をかけてもエリーズが誰だかわからない。記憶をなくしているようだ。

エリーズは昔の知人によく似ていると言って男に近づく。 周り人たちはエリーズの動きを奇妙と感じるが、エリーズは賭けに出る。店のジュークボックスにあるレコードをオペラに替える。思い出の曲だ。大音量で鳴らして、男がどう反応するのか?その場には男の母親も同席させるのであるが。。。


アリダ・ヴァリは「第三の男」での美貌が印象的、テーマソングが高らかに流れるなか並木を1人つんと澄まして歩くシーンは映画史上有数の名シーンだ。もちろん面影はあるが、ふっくらしておなかに肉がついた姿は別人のようである。ただ、 熟女ものAV 好きなら見ようによってはエロいように感じるかも?


映画の見初めではおばさんモードが強かったが、元夫に近づくようになるにつれて、若干色づいてくる。この映画は映像が鮮明なので色気じみてくる。変化がくっきりしてくる。元夫を自分のカフェに招待して食事をふるまったり、ダンスをするシーンはなかなか趣きがある。


別れた夫との再会というと、「ひまわり」のソフィア・ローレンの姿を思いうかベる。戦争で別れ別れになった夫とソ連で感動的な再会をするシーンは涙ものだ。同じイタリアのアリダ・ヴァリとソフィア・ローレンは雰囲気が似ている。

ネタバレになるので言えないが、最後に向けての展開はなかなかだ。このわずかな時間ですべてを集約してしまうところがすごい。

映画「ミッションインポッシブル/フォールアウト」 トム・クルーズ

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映画「ミッションインポッシブル/フォールアウト」を映画館で観てきました。

千両役者トム・クルーズの登場だ。十八番ミッションインポッシブルとなれば見逃せない。離陸する飛行機にくっついて1500mまで上昇するというすごいシーンを見せた前回ローグ・ネイションは十分楽しませてもらった。今回は主にパリが舞台で、相変わらずの度肝を抜くアクションは変わらない。



IMFのエージェント“イーサン・ハント”(トム・クルーズ)と彼のチームは、盗まれた3つのプルトニウムの回収を目前にしていた。だが、突如現れた何者かの策略で仲間の命が危険にさらされ、その最中にプルトニウムを奪われてしまう。イーサンとIMFチームは、プルトニウムを再び奪い返し、複数の都市の“同時核爆発を未然に防ぐ新たなミッション”を受ける。この事件の裏側には、シンジケートの生き残り勢力が結成したアポストル(神の使徒)が関連しており、手がかりは“ジョン・ラーク”という正体不明の男の名前と彼が接触する“ホワイト・ウィドウ”(ヴァネッサ・カービー)と呼ばれる謎めいた女の存在のみ。だが今回のミッションに対しイーサンの動きを不服とするCIAは、敏腕エージェントのウォーカー(ヘンリー・カヴィル)を監視役に同行させることを条件とした。


イーサンはホワイト・ウィドウの信頼を得るため、やむなく収監中の敵“ソロモン・レーン”(ショーン・ハリス)の脱走に手を貸すが、その影響で味方の女スパイ“イルサ”と対立してしまう。一方、同行するウォーカーはイーサンへの疑惑を深め、二人はやがて対決の時を迎える。
やがてタイムリミットが刻一刻と迫る絶体絶命の中で、チームの仲間や愛する妻の命まで危険にさらされる等、いくつもの〈フォールアウト(余波)〉がイーサン・ハントに降りかかる・・・。 (作品情報引用)

破壊力のある核爆弾を奪いとり、爆発の危機から救うというのが今回のミッションだ。しかし、登場人物のキャラがセリフだとはっきりしない。しかも、スパイ映画特有の敵味方入り乱れるという構図だけにストーリー内容もよくわからない。それでも、危機一髪の状態をギリギリのところで回避して、ミッションを遂行するという最終形は明らかだ。いつも通り、アクションを活劇として気楽に楽しむという気分でいればいいような気がする。


⒈ロケ地
成層圏外の輸送機からパラシュートで突入するのはパリだ。凱旋門、セーヌ川、エッフェル塔とパリの主要エリアで暴れまわるトムクルーズをくまなく映し、街の中で派手なカーチェイスを見せる。日本もそうだが、古い街は道が狭い。その道を全速力で駆け抜ける。ヒヤヒヤものである。以前マット・デイモンのボーンシリーズでも、同じようなセーヌ川の近辺エリアでカーチェイスを見せぶったまげた。パリって随分と映画ロケに対して寛容なんだと思う。


爆弾奪還に向けてインドカシミールに向かう。日本人的にはカシミールというとカレーだ。東京湯島にあるデリーの激辛カレーはカシミールカレーという名だ。おいしい!その独特の辛味が脳裏に浮かぶ。映される映像はアルプスの山奥を思わせる雪景色、そこで飛び立つヘリコプターにギリギリへばりつくトムクルーズのアクションが光る。最後に映る北欧フィヨルドを思わせる断崖絶壁の風景が美しい。演じるトムクルーズは大変そうだけど。

⒉アクションの見せ場
全世界の映画ファンいやミッションポッシブルのファンはアクロバットなアクションを期待して映画館に向かう。今回もその期待は裏切らない。まずは成層圏の飛行機からの脱出。空気が薄いというよりもほとんどない。そこを酸素マスクをつけて飛び降りる。下手をすると失神してもおかしくない。しかも、パラシュートもなかなか開かない。地上までもうすぐだ。ドキドキする。


あとはパリの古い建物の屋上をいつもながらのトムクルーズ走りで駆け抜けて、助走をつけて隣のビルに飛び移るシーンだ。このシーンでトムクルーズは骨折したらしい。これも本気でやっているとすると凄いな!我々はトムクルーズ独特の走りを見て、旧友に会うようになんかホッとしてしまう。それと、カシミールでのヘリコプターアクションと断崖絶壁での格闘だ。ヒッチコックの映画以来、こういう絶壁での格闘で危うく落ちそうになるというのが古典的な映画の文法、バットマンもスパイダーマンも映画のラストに向けて高所での戦いがつきものだ。今回も映画の文法に忠実だが、カシミールの絶壁を横からそして俯瞰して見る映像にドキドキする。


ボンドガールという呼び名があるが、ミッションインポッシブルの場合どうなんだろう。今回はレベッカファーガソン、ミッシェルモナハンと以前に同シリーズ出演の女性が再登場する。前作同様レベッカファーガソンの格闘技アクションが光る。味方だか敵だか判りずらい組織の女性トップを演じるヴァネッサカービーもいい感じで使われており相変わらずこれら美女が映画に色どりを与える。


それしてもトムクルーズはいくらギャラもらっているんだろう。これだけ危機一髪の状態をスタントなしで演じるのはちょっと飛び抜けた額じゃないと割が合わないなあ。プロヂュースのところに名前があったが、興行収入も大事だよね。祈り!大ヒット。

映画「スターリンの葬送狂騒曲」

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映画「スターリンの葬送狂騒曲」を映画館で観てきました。


1953年スターリンが亡くなったあと、スターリンショックという株の大暴落が日本で起こった。これにより朝鮮戦争が落ち着き、景気を牽引してきた戦争特需がなくなるのでは?という連想だそうだ。でも当のソ連のトップは後釜狙いの権力闘争で大騒ぎだ。この映画はだいたい史実に基づいている。この映画のいいところは、その史実をコメディタッチで描いているところだろう。内容はエグいが笑えるシーンも多い。

一応後継者になるがオタオタするマレンコフ、マレンコフをたてるフリをして虎視眈々とトップを狙うフルシチョフ、秘密警察の親分で粛正を指導してきたベリヤなど、突然意識を失ったスターリンの後釜問題で大あらわだ。


時は1953年、モスクワ。この国を20年にわたって支配していたスターリンは側近たちと夕食のテーブルを囲む。道化役の中央委員会第一書記のフルシチョフ(スティーヴ・ブシェミ)の小話に大笑いする秘密警察警備隊長のベリヤ(サイモン・ラッセル・ビール)。スターリンの腹心のマレンコフ(ジェフリー・タンバー)はすぐに場をシラケさせてしまう。


明け方近くまで続いた宴をお開きにし、自室でクラシックのレコードをかけるスターリン。無理を言って録音させたレコードに、ピアニストのマリヤ(オルガ・キュリレンコ)からの「その死を祈り、神の赦しを願う、暴君よ」と書かれた手紙が入っていた。スターリンは読んだ瞬間、顔をゆがめて倒れ込む。

朝になりお茶を運んできたメイドが、意識不明のスターリンを発見し、すぐに側近たちが呼ばれる。驚きながらも「代理は私が務める」と、すかさず宣言するマレンコフ。側近たちが医者を呼ぼうと協議するが、有能な者はすべてスターリンの毒殺を企てた罪で獄中か、死刑に処されていた。仕方なく集めたヤブ医者たちが、駆け付けたスターリンの娘スヴェトラーナ(アンドレア・ライズブロー)に、スターリンは脳出血で回復は難しいと診断を下す。その後、スターリンはほんの数分間だけ意識を取り戻すが、後継者を指名することなく、間もなく息を引き取る。


この混乱に乗じて、側近たちは最高権力の座を狙い、互いを出し抜く卑劣な駆け引きを始める。表向きは厳粛な国葬の準備を進めながら、マレンコフ、フルシチョフ、ベリヤに加え、各大臣、ソビエト軍の最高司令官ジューコフまでもが参戦するが。。。
(作品情報一部引用)


1924年レーニン亡き後、トロツキーと権力争いをした後にスターリン書記長が自らに権力をを集中させソ連のトップとなる。そしてトロツキーばかりでなくスターリンの反対思想を持つ者は全て粛正されてしまうのである。当時のソ連で失脚する人たちの姿がいくつかの映画で描かれる。ニキータ・ミハルコフ「太陽に灼かれて」はその中でもピカイチの出来だ。忠実な軍人までが連行されることもある。スターリンは権力をとって以来、粛清で対立する勢力を押さえつけてきた。今でこそヒトラーにひけをとらない独裁者というが、世間には公表されていないことも多い。しかも、戦後の日本の知識人にはアカが多く、支持されていた時期すらある。実際にはヒトラーに人後に落ちないとんでもない野郎だ。

映画でもスターリンが列挙した粛正リストに載る面々が収容所で次から次へと銃殺するシーンが出てくる。ニキータ・ミハルコフ「太陽に灼かれて」でもわかるように、ちゃんとした反発の証拠があるわけではない人が引っ張られる。


映画ではフルシチョフ、ブルガーニン、マレンコフといった世界史の教科書には欠かせないソ連の指導者が登場する。この後、11年たってブレジネフが書記長となり権力を持つとあっという間にフルシチョフは失脚。権力を失った途端に失脚の道を歩む。韓国の大統領の末路も酷いもんだが、ソ連も同じようなもんだ。ここでも、ベリヤに至っては濡れ衣といってもいいような状態で、失脚どころか殺されてしまう。現在の共産主義国にもそういう部分は残っているだろう。アカ連中の権力闘争は怖い。

こういうのを見て町の駅で共産党のビラ配っているアカババアどもは共産主義がいかにひどいものかと理解できるのであろうか?対岸の火事と思ってわからないだろうなあ。

太陽に灼かれて スターリンの粛清で壊れる家庭(ブログ記事)

映画「デトロイト」 キャスリン・ビグロー

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映画「デトロイト」は2018年日本公開のアメリカ映画

1972年7月デトロイトで起きた暴動騒ぎの時に、悪ふざけでニセ拳銃を撃った一部の黒人が暴動を鎮圧しようと警備に当たっていた警察により虫けらのように射殺される顛末とその後を描いている。


キャスリン-ビグロー監督はビン・ラディンの射殺の顛末を映像化したゼロ・ダーク・サーティ以来久々に長編映画のメガホンをとる。 個人的にゼロダークサーティのもつ緊迫感あるシーンが好きである。パキスタンのある家にビン・ラディンが住むと知り、綿密な計画を立て隠密に飛行機を飛ばし突撃するシーンは思わずドキドキしてしまう。ジェシカ・チャスティンが演じるCIA の分析官も名演である。

今回も実話に基づくドキュメンタリータッチで描く。淡々と悪夢の一夜を再現する。

1967年7月23日、アメリカ中西部の大都市デトロイトで、警察の横暴な捜査に地元住民が反発したことをきっかけに、大規模な暴動が発生した。市民による略奪や放火、銃撃を、警察だけでは鎮圧できず、ミシガン州が軍隊を投入したことで、デトロイトは戦場化する。


暴動発生から3日目の夜、比較的平穏な地域にあるモーテルで、宿泊客の1人が玩具の銃をふざけて鳴らしたところ、銃声として通報を受けた警察や州兵がモーテルに突入し、若い白人警官のクラウス(ウィル・ポールター)が無抵抗の黒人青年を射殺する。クラウスはそこには存在しない“狙撃犯”を見つけ出そうと、居合わせた8人の若者たちに非人道的な尋問を開始した。(作品情報引用)


映画の中で「ドラマティックス」という固有名詞が出てくる。知っているバンド名だ。自分が洋楽ポップスを聴き始めた1970年代前半、ヒットチャートマニアだった自分は「イン・ザ・レイン」というソウルのヒットナンバーに魅かれる。雨音の特殊音が印象的でそのあとソウルフルなスローバラードが流れる曲だった。もしかして、同じバンド?と調べたらその通りであった。残念ながら、この事件により軽快なフルセットボイスを披露したリードシンガーは辞めてしまう。なぜか?ドラマティックスがモータウンレーベルに属さないが、それはこの事件が理由か?


焦点は警官の正当防衛である。今回、酷く黒人を射殺した警察官は結局無実となる。しかし、この映画の前半で、この事件の前にも正当防衛というよりも過剰防衛としてもおかしくない背後からの射殺の前科があることが示される。銃の所有が正当化されるアメリカではこの手の話はつきものだが、この警察官は異常なまでの人種差別主義者と目される。この映画を製作する背景として、同じような無実の黒人が白人警官により射殺される事例が増えているという。(映画com)引用


1967年のアカデミー賞作品賞は「夜の大捜査線」である。ミシシッピ州の田舎町は人種差別主義者の多い街である。そこにたまたま現れるシドニー・ポワチエ演じる黒人のエリート刑事が不条理な仕打ちを受けるが、結局地元の警察官と協力し合う。立場の違う触れ合いを描く。ここでの映像を見て、60年代半ばの南部における人種差別の凄まじさを自分は知ることになる。

1968年のメキシコオリンピックでは人種差別に対抗して、陸上200mの表彰式で黒人メダリストが国旗掲揚時に抗議をしたことが今でも記憶に鮮明に残る。キング牧師が殺されたのも1968年だ。それから4年たっているが差別の流れは大して変わっていないだろう。


ただ、暴動が起きているのにスターターピストルを何度も撃って、警備に当たった警察を威嚇しようとした のは被害者にも問題があると言わざるをえない。悪ふざけではすまない行為だ。関与した警察官に大きな問題はあれど、被害者が悪ふざけしなかったらこんな事は起きていない。無罪にはそれなりの理由があると思う。

映画「寝ても覚めても」 東出昌大&唐田えりか

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映画「寝ても覚めても」を映画館で観てきました。


予想外の展開に余韻が残ってしまいました。
柴崎友香の原作の映画化で、カンヌ映画祭に出品、東出昌大が一人二役という情報だけで映画館に向かいました。もちろん原作は未読で。先入観なしで、ストーリーを追った。途中まで、それなりの起伏はあったが、比較的平坦に進む。それが一転、あっと驚かされる。近来にないおすすめのラブ・ストーリーである。

泉谷朝子(唐田えりか)は大阪の川ぺりで鳥居麦(東出昌大)と運命的な出会いをする。2人は付き合うようになり、友人の岡崎(渡辺大知)や春代(伊藤沙莉)とともによく遊んでいた。買い物に行くといって夜帰ってこなかったり、麦は突発的な行動をとることがあった。そうして、急に行方をくらましてしまうのであった。


2年後、泉谷朝子は麦への思いを断ち切れないままに上京し喫茶店で働くようになる。朝子はある会社の会議室へコーヒーを届けにいくと、恋人鳥居麦に顔がそっくりな丸子亮平(東出昌大一人二役)と出会い驚く。いきなり、朝子は麦と語りかけるがちがう。それ以来、2人は街で何度も出くわすようになる。ぎこちない態度をとる朝子に惹かれていく亮平。真っ直ぐに想いを伝える亮平に、戸惑いながら朝子も惹かれていく。しかし、朝子は亮平に元恋人のことを告げられずにいた。

5年後、亮平と朝子は共に暮らすことになる。亮平の会社の同僚・串橋(瀬戸康史)や、朝子とルームシェアをしていたマヤ(山下リオ)と時々食事を4人でとるなど、平穏な日々を過ごしていた。ある日、亮平と朝子は出掛けた先で大阪時代の朝子の友人・春代と出会う。7年ぶりの再会に、亮平の顔を見て春代は驚く。麦とそっくりなので。大阪で親しかった春代も、麦の遠縁だった岡崎とも疎遠になっていた。その麦の現在の消息を朝子は春代から知ることになるのであるが。。。


1.唐田えりか
唐田えりかは久々に登場する逸材である。まだ20歳、今回は20代後半の設定と思しき世代まで演じる。ナチュラルメイクで、際立った清涼感を持つ。あえて言えば、若かりしときの深田恭子が近いであろうか?今回は比較的控えめな女の子を演じていくが、突如として大胆になる。このときの意外性あるパフォーマンスに将来性を感じる。今後、引っ張りだこになる可能性が高い。どちらかというと男性の保護本能をくすぐるタイプで、一般女性が陰で意地悪しそうなタイプかな?
映画では2人の友人役に対照的な女性を起用して補っている。



2.突然現れる同じ顔
映画を観ていて、一人二役の東出昌大が出てきたとき、いくつかの映画を思い浮かべた。ヒッチコックの「めまい」でキム・ノヴァック演じるいったん自殺したはずの女性にそっくりな女性がジェームズ・スチュワート演じる主人公の前に姿を現すシーン、「かくも長き不在」で戦争に行って行方不明になった夫が突然「第三の男」のヒロイン、アリダ・ヴァリ演じる妻の前に長い時間を経て現れるシーン。

要は同一人物じゃないかという連想をさせたのだ。実は映画の終盤に向かうまで、そういうことなのかと思っていた。その時、突如行方不明だった麦(バク)の存在がわかる。ここからがこの映画のヤマである。こういうもっていき方をするのか?と正直びっくりしてしまう。まさに肩透かし。これは観てのお楽しみであるが、その展開には驚いた。すごいと思わせる。

最後の余韻、これもよかった。もちろん、東出昌大は好演である。

映画「響 HIBIKI」 平手友梨奈&北川景子

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映画「響 HIBIKI」を映画館で観てきました。

これは面白い。
コミックの原作の実写化である。文才のある高校1年生の響という名の少女が芥川賞と直木賞の候補になるなんて設定が面白そうと思い映画館に向かう。もちろん原作は未読。北川景子、小栗旬、柳楽優弥の主演級を脇役に退け檜坂46の平手友梨奈が主演を務めるが、これがいい。にやりともせずに、自分の世界で生きている。


ジャンル分けとしての大衆文学、純文学の境目というのはあいまいだけど、芥川賞と直木賞を同時受賞いうのも常識的に考えてありえないんじゃないかな?そのこと自体で少女の天才ぶりを示すということなんだろう。ここでは、鮎喰響の家庭を映しださない。父も母も姿を見せない。高校一年で親と同居しているのに出てこないというのは普通だとありえない。余計な設定は省略して、次から次へと主人公響の奇異な行動を列挙して映し出す。

そんな非現実であってもこの映画は痛快だ。原作者柳本光晴の着想に感心する。

響(平手友梨奈)は高校に進学し、クラブ活動必修ということで男友達と文芸部の部室に向かう。そこにはタバコを吸う不良たちがたむろい異様な雰囲気であった。入部したいという響に対して、親分格の不良が無理だと伝えると、響が逆らい不良が怒る。暴力を振るおうとするととっさに響は不良の指を折る。翌日、 部室に向かうと1年先輩の祖父江リカ(アヤカ・ウィルソン)がいた。その後紆余屈折を経て結局、響は文芸部員となる。


一方、編集者の花井ふみ(北川景子)は文芸誌の新人賞の準備にかかっていた。データで配信が必須という中で、封筒で送られてきた原稿を見つける。読んでみると、稀なる文才を感じさせる作品だ。しかし、封筒に鮎喰響という差出人名だけで発送元住所が書いていないので連絡のつけようがなく困っていた。その後、響から電話がかかってくるが、ふみの感想を伝えると一方的に切られたのだ。

ベストセラー作家祖父江秋人(吉田栄作)の新作が発売され、圧倒的な人気となっている。しかし、発行元はライバル出版社であった。編集長は祖父江の高校生の娘が小説を書きはじめたと聞きつけ、娘をきっかけに祖父江に近づこうとふみを祖父江の自宅に向かわせる。家に入ると、祖父江の書斎でたむろう少女を見つける。ここはあなたのいる場所でないとふみが叱責すると、何で出て行かねばならないのかと一悶着が起きた時に、偶然少女が鮎喰響だとわかり、ふみは驚く。祖父江秋人の娘が先輩のリカであったのだ。

その後、ふみは鮎喰響が新人賞をとると確信し、接触するようになる。各審査員の評判もいい。しかし、自分がムカつくことに暴力を振るう響の行為に戸惑う。それでも、一緒に発表の日を待つわけであるが。。。


TVのワイドショーではパワハラ、セクハラ、暴力指導の問題が蔓延している。呆れるくらいだ。たしかに、暴力を振るうのは良くないが、ちょっとした指導でもマスコミ総動員で叩くのはどうかと思うと世の中も思っているのではかしら?この主人公は少しでもムカつくと相手に暴力で対抗する。かよわい少女なのに格闘的な才能を持つということになっている。妙に我慢を重ねるわけでなく、ムカつく奴は叩きのめす。映画を見ていて逆にスカッとしてしまう。

一連の脇役
北川景子はTVドラマ「家売るオンナ」で演じた表情を変えない敏腕不動産屋営業ウーマンと全く真逆の常識人である。文芸誌「木蓮」においては編集者として新人発掘するのが大事な仕事である。悪態つく鮎喰響のしでかした尻拭いにも徹する。こういう役もいいかも?

社長にごまする高嶋政伸の編集長役もいい感じだ。

小栗旬は肉体労働をしながら、一人で悶々と原稿を書きシコシコ芥川賞を狙う売れない作家という設定だ。「苦役列車」の西村賢太のようなものだ。編集者に励まされながら、日夜パソコンで原稿を打ち続ける髪の毛ボサボサの小説家を演じる。普段演じる役と若干違うのも悪くない。


柳楽優弥はピザ屋でフリーターをしながら、創作に励む小説家の設定だ。勤め先でも屁理屈をこねて逆らう嫌なやつ。新人賞を争った鮎喰響に強烈な皮肉を言い一悶着が起きる。「ディストラクション・ベイビーズ」で見せた圧倒的な暴力での強さぶりとは別の面を見せたのがご愛嬌

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