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Channel: 映画とライフデザイン
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映画「きみの鳥はうたえる」 柄本佑&染谷将太&石橋静河

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映画「きみの鳥はうたえる」を映画館で観てきました。


函館出身の作家佐藤泰志の芥川賞候補作品「きみの鳥はうたえる」の映画化である。原作は未読。海炭市叙景、そこのみにて光輝く、オーバー・フェンスと佐藤泰志原作の映画化作品はいずれも傑作であった。函館の町を舞台に社会の底辺をさまよう人たちに存在感を持たせる。今回も期待して映画館に向かう。

結果としては、前の3作ほど良くはなかった。でも、この映画でも若い3人の若者が函館の街に放たれている。寂れつつも独特の存在感を持つ函館の街の匂いが映画全面に漂う。クラブやビリヤード場の映像は今までの作品になかったところ、猥雑で喧噪な若者のたまり場に流れる雰囲気はいい感じだ。函館山や路面電車を3人のバックの映像にチラチラ登場させるのを見ると、直近に三度函館で遊んだ自分はなんかわくわくしてしまう。

調べると、この題ってビートルズの「And your bird can sing 」の日本語訳ですってね。アルバム「リヴォルバー」の中にあるジョン・レノンの曲、ジョンとジョージのツインギターで軽快に始まるジョン・レノンのヴォーカルが印象的な自分の好きな曲だけど、映画の中じゃ全然流れなかったなあ。全く気づかなかった。


函館郊外の書店で働く「僕」(柄本佑)は、失業中の静雄(染谷将太)と小さなアパートで共同生活を送っていた。ある日、「僕」は同じ書店で働く佐知子(石橋静河)とふとしたきっかけで関係をもつ。彼女は店長の島田(萩原聖人)とも抜き差しならない関係にあるようだが、その日から、毎晩のようにアパートへ遊びに来るようになる。こうして、「僕」、佐知子、静雄の気ままな生活が始まった。


夏の間、3人は、毎晩のように酒を飲み、クラブへ出かけ、ビリヤードをする。佐知子と恋人同士のようにふるまいながら、お互いを束縛せず、静雄とふたりで出かけることを勧める「僕」。

そんなひと夏が終わろうとしている頃、みんなでキャンプに行くことを提案する静雄。しかし「僕」は、その誘いを断り、キャンプには静雄と佐知子のふたりで行くことになる。次第に気持ちが近づく静雄と佐知子。函館でじっと暑さに耐える「僕」。3人の幸福な日々も終わりの気配を見せていた……。 (作品情報引用)


アパートで同居する男2人に女の子が絡まる函館が舞台の青春映画、僕と佐知子が何気ないきっかけでぐっと近づいていく。2人が働く本屋の店長と付き合っていたのに、佐知子は気がつくと若い僕との付き合いが楽しくなる。僕の同居人の静雄も加えて夜通し遊んでいくうちに静雄にも情が移る。三角関係になるわけだ。でも、激しい葛藤があるわけではない。淡々とストーリーが流れる。起伏の少なさが若干物足りない。

石橋静河がいい。石橋凌と原田美枝子の娘と聞くと驚くが、何となく面影はある。かわいい。ここでは柄本佑と軽い絡みを見せるが、バストトップは見せない。若くして大胆に脱いだお母さんとは違うなあ。母娘バストの形は似るというが、24歳だからかまだ出し惜しみだ。


クラブのシーンでは、ソロで踊ったりする。うまいというわけではないが、まあ味のあるダンスを踊っていると思ってプロフィルを見たら、一応はダンサーという肩書きもあるんだね。萩原聖人演じる中年の店長と不倫関係にあるという設定だけど、不自然さがない。大人びている。親も親なんでませた人生送ってきたんだろう。この若い2人がともに好きになってしまうような女の子ってこんな感じなのかな。最後の余韻は悪くない。

映画「バッド・ジーニアス」

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映画「バッド・ジーニアス」を映画館で観てきました。


評判がいいので見に行った。タイロケの映画は数々見ているが、タイ映画って見た記憶がない。子供の頃から神童とされた主人公が、金持ちの子弟が多い私立学校に転校する。出来の悪い金持ち娘に頼まれて、数学の問題の解答を試験中にこっそりと教える。それをきっかけに他の生徒からも頼まれ、ビジネスになっていく。やがてカンニングが究極にエスカレートしていくことを描いている。途中までの展開も面白いが、残り時間が少なくなるにつれ異様な緊迫感に包まれる。すんなりとストーリーを進めるのでなく、次から次へと主たる登場人物に難関を与えドキドキさせる場面をつくる。学園ドラマの様相だが、クライムサスペンスのようなドキドキ感がある。お見事である。


小学生の頃から成績はずっとオールA、天才的な頭脳を持つ女子高生のリン(チュティモン・ジョンジャルーンスックジン)は、私立の進学校に特待奨学生として転入する。リンは友人になったグレースを、数学のテスト中に手助けする。それを知ったグレースの彼氏である金持ちの息子のパットは、リンがテスト中に正解を教えることと引き換えに報酬を得る、カンニング・ビジネスを思いつく。学生たちは瞬く間にリンの元に殺到。客である生徒たちはこれで試験をしのぎ、リンの貯金残高も増えていく。


ボストンの大学への進学を目指すグレースとパットは世界各国で行われる統一入試、STICでもリンに助けを求める。リンは高額な報酬に目が眩み、もうひとりの生真面目で苦学生バンク(チャーノン・サンティナトーンクン)を仲間に引き入れようとする。。。(作品情報引用)

映像の背景を見ながら、少し前に自分が思っていたタイのイメージと比べて、経済発展でものすごく現代的で豊かになっている印象をもつ。確かに国力は伸びている。教育にも金がかけられる余裕が一部高所得者層には出ているだろう。映像に映る学校は進学校に違いないが、親が学校に寄付することで学力がないのに入学できたという生徒も多い。学力に長けた生徒だけが集まっているわけでないだろう。内申稼ぎにポイントを狙う面々も多い。

ただ、ここで映る試験が全部マークシートになっている。こんなものなのか?タイの大学受験もマークシート方式だけなのか?途中でアメリカの大学受験はみんな記述式だというセリフがあるが、途中までマークシート方式ばかり出てきたのでなんか変な感じがした。


大学時代は付属高校から進学してきた仲間によくカンニングさせたものだ。受験組は英語、数学に一定以上の学力を有するが、付属高校進学組で常に遊んでいる面々は要領はいいが、受験レベルの問題は解けない。それなので、なんとかしのごうとしている。当時語学を含め経済学や数学などの必修科目3つ落とすと落第、2年続くと退学だったので、必死だったと思う。今、その仲間に会っても当時のことは感謝される。試験前は合宿のようにどこかの家に集まり、持ち込み可の科目の対策を練ったりしたものだ。こういう時には、付属高校出身者ならではの人脈を使ってみんなが出席していないような科目の講義資料が面白いくらい集まった。これには逆に助かった。

いつぞや京大入試のカンニング問題が話題になった。一斉に世論はクレームを言ったが、大学時代にカンニングでしのいだことがない学生ってそんなにいるのかな?みんな自分のことを棚上げしてと思わず吹き出してしまった。ただ、この映画でやる集団カンニングって経験ってさすがにないだろう。


主人公は好演、スマートで目つきの鋭さがこの役にピッタリだ。ライバルを演じた若者が早稲田から日本ハムに行った斎藤くんにあまりにも似ているので驚いた。

映画「止められるか、俺たちを」門脇麦&井浦新

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映画「止められるか、俺たちを」を映画館で観てきました。


「止められるか、俺たちを」は60年代後半から70年代初頭の若松プロダクションに集まる若者たちを助監督志望の女の子の目線で描いた作品である。ポルノというよりピンク映画を撮り続けていた若松プロダクションには、個性あふれる映画好きの男たちが集まっていた。その中に飛び込んでいった紅一点の女の子を門脇麦が演じる。そして若松孝二自身は後期若松映画の常連井浦新が演じる。脇を固める俳優たちも特別出演というべき寺島しのぶや高良健吾、大西信満など粒ぞろいの役者ばかりだ。メガホンは白石和彌がとる。

吉積めぐみ、21歳(門脇麦)。1969年春、新宿のフーテン仲間のオバケに誘われて、"若松プロダクション"の扉をたたいた。当時、若者を熱狂させる映画を作りだしていた"若松プロダクション"。 そこはピンク映画の旗手・若松孝二(井浦新)を中心とした新進気鋭の若者たちの巣窟であった。小難しい理屈を並べ立てる映画監督の足立正生、冗談ばかり言いつつも全てをこなす助監督のガイラ、飄々とした助監督で脚本家の沖島勲、カメラマン志望の高間賢治、インテリ評論家気取りの助監督・荒井晴彦など、映画に魅せられた何者かの卵たちが次々と集まってきた。撮影がある時もない時も事務所に集い、タバコを吸い、酒を飲み、ネタを探し、レコードを万引きし、街で女優をスカウトする。撮影がはじまれば、助監督はなんでもやる。


現場で走り、怒鳴られ、時には役者もやる。「映画を観るのと撮るのは、180度違う…」めぐみは、若松孝二という存在、なによりも映画作りに魅了されていく。 しかし万引きの天才で、めぐみに助監督の全てを教えてくれたオバケも「エネルギーの貯金を使い果たした」と、若松プロを去っていった。めぐみ自身も何を表現したいのか、何者になりたいのか、何も見つけられない自分への焦りと、全てから取り残されてしまうような言いようのない不安に駆られていく。(作品情報 より)

学生運動真っ盛りというべきこの時代の空気が映画のあいだ中流れている。まだまだバブル期の匂いがない。飲み屋やジャズ喫茶の映像ではタバコの煙ムンムンというのも今とは違う。その猥雑な感じがいい。新宿三丁目の裏手をはじめとしたロケハンは成功していると言える。

1.若松孝二と井浦新
残念ながら初期の若松孝二の映画を見たことない。さすがに古い時代の若松ピンク映画はDVDにはならないよなあ。このブログでもいくつか紹介したが、もっぱら後期作品のみ観ている。高校中退で底辺の世界で生きてきた若松孝二は前科者でもあり、そのあたりも台詞で語られる。

赤軍派の映画を撮っているので、若松はアカ系思想かと思ってしまうが、そうでもないらしい。パレスチナの映像を撮るため、カンヌ映画祭に参加した後中東まで取材に行って撮った映像を赤いバスで回って各地で映写会を開く。それももっぱら足立正生の役目だ。若松孝二は他の人がつくった映画も見ないし、本も読まないというセリフもある。ただ、ひたすらピンク映画を量産することしか若い頃は考えていなかった職人と言えるかも?インテリ系で映画評論、脚本もこなす荒井晴彦とは対照的だ。


井浦新が東北のイントネーションで若松孝二役を演じる。実物の肉声を聞いていないのでどんな話しぶりだったかわからないが、末期作品の常連だった井浦新はきっとつかみどころはわかって話したのであろう。それにしても、若松孝二はあっけなく死んでしまったものだ。その追悼で演じた井浦新は配役されてさぞかし光栄だったであろう。


2.門脇麦と吉積めぐみ
門脇麦は好演、92年生まれの彼女には70年前後の雰囲気はよくわからないとは思うが、違和感を感じなかった。ピンク映画の助監督になりたいというこの役柄の女の子吉積めぐみは、高校中退で母親は二回結婚、父親の顔は見たことないという女の子。新宿のフーテン仲間から知り、若松プロダクションに入り込む。金銭の余裕のない実質無給状態。先輩助監督たちに撮影の段取りを教わり若松孝二監督のアシスタントになる。この時代はセクハラ、パワハラ何でもありで、この時代の映画撮影の場面では容赦なくこき使われる。ベロベロ酔ったり、柔らかな絡みもある。そんな役柄も上手くこなす。ようやく連れ込み旅館用の30分で完結のピンク映画の監督を任されたりしたのであるが。。。複雑

はじめての山陰1(出雲~松江)

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生まれてはじめての山陰路に行ってきました。
出雲空港に到着した後、稲佐の浜に行く。
ここから出雲大社に入るのが神の道らしい。


入口の鳥居は鉄製に替えられたらしい。


出雲大社はなかなかおごそかでいい感じだ。
天皇家からお嫁さんをもらったので、でっかい日の丸の国旗があった。






竹内まりやさんのご実家の旅館、今はスポンサーとのこと
若かりし日、チリチリヘアーのまりやさんをキャンパスで見たことがある。
夜は旅館で「不思議なピーチパイ」をカラオケで歌った。


出雲そば、三段重ねのわんこそば、薬味とそばつゆをたっぷり入れた器を次に移す。
なるほど、こう食べるんだね。


ひと時代前話題になった出雲ドーム
天井高が48mの出雲大社の高さを抜けないらしい。プロ野球は無理とのこと


松江城
国宝の天守閣、全国で5か所しかないとか。


天守閣のてっぺんから見る景色は抜群


松江市内の建物、典型的地方都市の風景


小泉八雲の旧宅
小さい庭だけど、趣がある。


松江城のまわりのお濠を遊覧する小船
時間がなくて乗れなかったけど、周りの紅葉とマッチするときれい。


島根県立美術館はガラス張りで、宍道湖のそばに位置する。


宍道湖からの夕日を観に行ったけど、ちょっと隠れちゃった。
でもいい感じ。

はじめての山陰2(足立美術館~境港)

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翌日のメインは足立美術館
これが凄かった。何よりも日本画のすばらしさを堪能させてくれる。
何よりも横山大観のパワーに驚く



庭園のきれいなこと、常駐の庭師が整備しているらしい。


庭には入れない。知らなかった。こういうのもいいのかもしれない。






境港の鬼太郎ロード
寂れた商店街の町おこし、妖怪のお菓子が並んでいた。
まずは鬼太郎だ。


これは水木しげる夫妻だね


妖怪神社に一応参拝


境港駅にある建築家高松伸のユニークな名作




2018年読んだ本

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1.きづく、つなぐ、すすむ 半歩先を行くビジネス JBCC
2.計算力の鍛え方 小杉拓也
3.会社の目標を絶対に達成する「仕組み」 石田淳
4.日本最大の総会屋「論題」を支配した男 大下英治◎◎
5.テンバガーを探せ! 10倍儲かる低位株投資術 鮎川健
6.61歳の大学生、父野口富士男の遺した一万枚の日記に挑む 平井一み◎◎
7.きみの脳はなぜ「愚かな選択」をしてしまうのか
8.ビジョナリー・カンパニー3 
9.運は実力を超える 植島啓司◎◎
10.数学に感動する頭をつくる 栗田哲也◎◎
11.一度は泊まりたい粋な宿 山口由美
12.フルタイムトレーダー ジョン・カーター◎
13.小林信彦 萩本欽一 ふたりの笑タイム 名喜劇人たちの横顔・素顔・舞台裏
(1月13冊)
14.データの見えざる手◎◎
15.昭和のテレビ欄
16.数学難問BEST100  小野田
17.伝説の投資家12人の学ぶ儲けの法則
18.天才数学者列伝
19.人生論ノート 三木清◎
20.観れずに死ねるか!傑作絶望シネマ88
21.80's エイティーズ 橘玲
22.ノイマン・ゲーテル・チューリング 高橋昌一郎
23.工学部ヒラノ教授の事件ファイル 今野浩
24.組織は変われるか 加藤雅則
25.欲望直撃のしかけ 殿村美樹
26.ツキをつかむ70の法則 早島正雄◎
27.金融排除 橋本宅典◎
28.ゆるり京都おひとり歩き 柏井壽◎
29.ビジネスに効くスケッチ 山田雅夫
30.不死身の特攻兵 鴻上尚文◎
31.新・日本の階級社会 橋本健二◎
32.運は人柄 鍋島雅治◎
33.天才脳をつくる マイク・バイスター&クリスティン・ロバーグ◎
34.マインドマップ リーダーシップ トニーブザン他
35.近代日本150年 山本義隆
36.若き科学者への手紙 エドワード・D・ウィルソン
37.京都の路地裏 柏井壽
38.ファンベース 佐藤尚之◎
39.批評について・芸術批評の哲学 ノエル・キャロル
40.株価指数先物必勝システム アート・コリンズ
41.格差の戦後史 橋本健二◎◎
42.左翼も右翼もウソばかり 古谷経衡◎◎
43.リバタリアン宣言 蔵研也
44.映画館をはしごして 小泉敦
45.スパークする思考 内田和成
46.トレードシステムの法則
47.近代デザインの美学 高安啓介
48.経験としての芸術 デューイ
49.戦前日本のポピュリズム 筒井清忠◎◎
50.道徳自警団が日本を滅ぼす 古谷経衡
51.偉人の残念な息子たち 森下賢一
(2月 38冊)
52.あざむかれる知性 村上宣寛◎
53.日本を蝕む「極論」の正体 古谷経衡 
54.数字マニアック 1~200の数字 デリック・ニーダーマン◎
55.ネット右翼の終わり  古谷経衡
56.リスク、人間の本性、経済予測の未来 アラン・グリーンスパン
57.悪い奴ほど合理的 レイモンド・フィスマン
58.歴代天皇総覧 笠原英彦
59.善意で貧困はなくせるのか Dカーラン&Jアベル
60.共感のレッスン 植島啓司&伊藤俊治
61.ボクには世界がこう見えていた 小林和彦
62.スパイのためのハンドブック ウォルフガング・ロッツ
63.昭和史講義 筒井清忠編◎
64.昭和史講義2 筒井清忠編◎
65.利食いと損切のテクニック アレキサンダー・エルダー◎
66.AIvs教科書が読めない子どもたち 新井紀子◎
67.デカルトの憂鬱 津崎良典◎
68.帝都復興の時代 筒井清忠
69.元老西園寺公望  伊藤之雄◎ 
70.はじまりの戦後日本 橋本健二
(3月 19冊)
71.47都道府県格差 木原誠太郎
72.アナタはなぜチェックリストを使わないのか? アトゥール・ガワンデ
73.投資苑3 アレキサンダー・エルダー
74.リズムの哲学ノート 山崎正和
75.方法序説 デカルト
76.月給百円サラリーマン
77.A4脳が成功する。 三木
78.満州事変から日中戦争へ 加藤
79.日本統治下の朝鮮 木村光彦◎
80.テンプレート仕事術 信太明
(4月 10冊)
81.サラリーマンは300万円で小さな会社を買いなさい 三戸政和
82.映画の瞬き ウォルター・マーチ
83.スポーツアナウンサー 山本浩
84.モノが少ないと快適に働ける 土橋正
85.学びの技 後藤芳文ほか
86.東京たてもの伝説 藤森照信、森まゆみ
87.ニッポン戦後サブカルチャー史 宮沢章夫
88.ニッポン戦後サブカルチャー史 深堀り進化論
89.ぼくらは数学のおかげで生きている 柳谷晃
90.東京建築みるあるくかたる 
91.宮脇壇の間取り図鑑 山崎健一
92.iphone力
93.男はなぜこんなに苦しいのか 海原純子
94.俺の日本史 小谷野敦◎
(5月 14冊)
95.乾隆帝 中野美代子
96.誰も戦後を覚えていない(昭和20年代後半) 鴨下信一◎
97.誰も戦後を覚えていない(昭和30年代) 鴨下信一
98.戦後10年東京の下町 京須偕充◎
99.1949年の大東亜共栄圏 有馬哲夫
100.悲の器 高橋和巳◎◎
101.渋谷まち歩きレシピ
102.あなたの隣のモンスター社員 石川弘子
103.ブラック企業1 今野晴貴
104.戦争まで 加藤陽子◎
105.シニア左翼とは何か 小林哲夫 
106.ひと目でわかる「大正、昭和初期」の真実  水間政憲
107.邪宗門 高橋和巳
108.朝日ぎらい 橘玲◎
109.クリエイターのためのセルフブランディング全力授業  青山裕企◎
(6月 15冊)
110.袴田事件を裁いた男 尾形誠規
111.テレビショッピングはなぜ値段を最後に言うのか 理央周
112.暴力的風景論 武田徹
113.戦前昭和の社会1926-45 井上寿一
114.桂太郎  千葉功 
115.大阪不案内 森まゆみ
116.我が心は石にあらず 高橋和巳◎
117.大正デモクラシー  成田龍一
118.河合栄治郎  松井慎一郎
119.評伝高橋和巳 川西政明
120.魂の文章術 ナタリー・ゴールドバーグ◎◎
121.中国における社会主義的近代化 小長谷有紀・川口幸大・長沼さやか編
122.イスラームへの回帰 松本ますみ◎
123.20世紀中国の国家建設と民族 王柯
124.現代中国の民族と経済 佐々木信彰
125.民衆のイスラーム 赤堀雅幸
126.中国のムスリムを知るための60章 中国ムスリム研究会◎
127.中華と対話するムスリム 中西竜也◎
128.クロニクル1945-49  共同通信
129.大正クロニクル  世界文化社
130.創氏改名  水野直樹
131.梅棹忠夫  山本紀夫
132.書きたいのに書けない人のための文章教室 清水良典
133.シカゴスタイルに学ぶ論理的に考え書く技術 吉岡友治◎◎
134.日本の悪霊 高橋和巳◎
135.文科系学生のレポート卒論術 渡辺潤&宮入恭平
136.感性は感動しない 椹木 野衣
137.改訂新版 ロボットは東大に入れるか  新井紀子
138.「悪くあれ! 」窒息ニッポン、自由に生きる思考法 モーリー・ロバートソン
139.勝つための論文の書き方 鹿島茂◎
140.頭を前向きにする習慣 赤羽雄二
141.第一次世界大戦と日本 井上寿一
142.市場って何だろう 松井彰彦
143.知っているつもり  スティーブン・スローマン◎
(7月 34冊)
144.ファイナンス思考 朝倉佑介◎
145.AIビッグデータの罠 キャシー・オニール
146.わが解体 高橋和巳
147.テクニカル分析 最強の組み合わせ術 福永博之◎
148.運がよくなる 月の習慣、太陽の習慣  松永修岳
149.3000万語の格差 : 赤ちゃんの脳をつくる ダナ・サスキンド◎
150.火宅の人 檀一雄
151.テクニカル分析 最強の組み合わせ術  福永博之
152.いつでも、何度でも稼げる! IPOセカンダリー株投資  柳橋
153.イスラームと近代 中村
154.「回教から見た中国―民族・宗教・国家」張承志◎
155.「中国回教史論叢」 金吉堂、傅統先著◎
(8月 12冊)
156.神楽坂ホン書き旅館
157.イスラーム世界の女性たち 白須英子
158.ムスリマを育てる  服部美奈
159.イスラーム世界のジェンダ―秩序
160.イスラームにおける女性とジェンダー
161.矢口新の短期トレード教室
162.『「周縁」を生きる少数民族』澤井充生・奈良雅史編◎◎
163.『現代中国のイスラーム運動』奈良雅史◎◎
(9月 8冊)
164.情報生産者になる 上野千鶴子◎
(10月 1冊)
165.物理学的ストーリー創作入門
166.「ヘーゲル法哲学批判序説」カール・マルクス:城塚登訳
167.データサイエンティスト
168.紅衛兵の時代 張承志
169.中国文明史 清 文明の極地
170.才能の正体 坪田
171.回回民族の諸問題 中田◎◎
172.中国文明史 明・在野の文明 王 莉
(11月 7冊)
172.知的生活の設計 堀正岳◎
173.中東の世界史 臼杵陽◎
174.クリエイティブ・スーパー・パワー ローラ・ジョーダン・バーンバック他◎
175.イスラームはなぜ敵とされたのか 臼杵陽
176.論破力 ひろゆき
177.コーラン 井筒訳
178.北京と内モンゴル、そして日本 金 佩華◎
179.スポーツ映画トップ100 芝山幹郎◎
180.記憶日本一が教える記憶術 池田義博
181.日本の中国人社会 中島恵◎◎
182.東京格差 中川寛子
183.アンダークラス 橋本健二
184.籠の鸚鵡 辻原登◎
185.京都に行く前に知っておくと得する50の知識 柏井壽
186.イスラエル 臼杵陽◎
187.本と映画と「70年」を語ろう 鈴木邦男、川本三郎◎
188.作家の収支 森博嗣
189.池波正太郎と歩く京都
190.東京の流儀 福田和也
191.1秒でつかむ 高橋弘樹◎◎
192.脳を鍛えるには運動しかない ジョン・J・レイティ
193.なぜ中国人は財布を持たないか 中島恵◎
194.微分積分いい気分 オスカー・フェルナンデス
195.大川周明 臼杵陽◎◎
196.秘伝「書く」技術 夢枕獏
197.黄土の疾風 深井律夫
198.中国人エリートは日本人をこう見る 中島恵
199.誰が何を論じているのか  小熊英二◎◎
200.人望の研究 山本七平◎◎
201.実践論、矛盾論 毛沢東◎


映画「迫りくる嵐」ドアン・イーホン&ジャン・イーイェン

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中国映画「迫りくる嵐」を映画館で観てきました。


久々にいいサスペンスに出会えたという新作でした。宣伝文句には「殺人の記憶」、「薄氷の殺人」に続く本格サスペンス映画となっている。両作品とも自分の好きな映画である。とにかく雨の続く映画である。工場のある華南の町という設定、色合いもどんよりしたムードがひと時代前の中国を象徴するようだ。映像に絡む音楽も中華的なサウンドの匂いを込めながらじんわりと心に響く。主役のドアン・イーホンは好演、恋人役のジャン・イーイェンが色っぽく映画のレベルを上げている。それにしてもドン・ユエ監督の長編デビュー作品というのも、近年の中国映画のレベルアップを示すものと感じる。傑作だと思う。


1997年。中国の小さな町の古い国営製鋼所で保安部の警備員をしているユィ・グオウェイ(ドアン・イーホン)は、近所で起きている若い女性の連続殺人事件の捜査に、刑事気取りで首を突っ込み始める。警部から捜査情報を手にいれたユィは、自ら犯人を捕まえようと奔走し、死体が発見される度に事件に執着していく。 ある日、恋人のイェンズ(ジャン・イーイェン)が犠牲者に似ていることを知ったユィの行動によって、事態は思わぬ方向に進んでいく…。果たして、ユィに待ち受ける想像を絶する運命とはー。(作品情報より)

いきなりある男性を映す。どうも長年の懲役を経て釈放されるようだ。主人公のようだが、いったいどうしたんだろうというところから始まる。若い女性の殺人事件が続くという展開で、謎解きだということはわかるのであるが、この主人公ユィは刑事なの?あまり基本情報読んでいないんでわからない。でも名探偵だねと言われているところを見ると、素人か?やがて保安係として工場で表彰されるシーンで初めて工場勤務とわかる。

余分な説明は少ない。主人公には「傷だらけの天使」の萩原健一に対する水谷豊のような弟分がいて、実地検分をしたり、公安当局のベテラン刑事の捜査にちょっかい出しながら興味本位で私的捜査を続ける。


やがてクライムサスペンス特有の犯人追跡劇が始まる。犯人の顔は見えない。あやしい男がいる。工場の中で追いつめる。おきまりの列車操車場での追跡劇だ。首を絞められてあやうく殺されそうになる。何とか耐える。それでも追いかけるが捕まらない。暗礁に乗り上げそうになるのであるが。。。

1.雨が続く
いわゆる韓国クライムサスペンス映画で死体が見つかるのは雨のシーンが多い。どんよりした一時代前の中国郊外の風景に雨が似合う。それがずっと続いていく。そこに組み合わさるのが、感情を揺さぶる音楽だ。これがいい。黒澤明監督の「七人の侍」の戦闘シーンや小津安二郎監督の「浮草」の雨降る中の中村鴈治郎と京マチ子がののしりあいシーンなんかを想像する。「薄氷の殺人」は具体的には明示されていないが東北地区のハルピンが舞台で、雪景色が印象的だった。ここでは最後の最後に雪が降る。華南でもこの年は大雪だったという。


2.ジャン・イーイェン(江一燕)の美しさ
主人公の恋人である。いかがわしいネオンのある場所の二階に住んでいる。そこにいると階下からお客さんだよと呼ばれる。娼婦がよく持つ小さいポシェットを携えて、お客のところへ向かう。ところが顔には殴られたと思しきあざがある。客が悪いのか?仕切る黒社会が悪いのか?なかなか大変なようだ。彼女の希望は香港で美容院を持つということ。主人公はその夢をかなえてやろうと地元で店を出してあげる。美容院というより散髪屋で男も刈ってもらう。しかし、それが間違いのもとであった。


ジャン・イーイェンがきれいだ。「薄氷の殺人」でも女主人公の魅力が際立った。ここでも同様に男はどちらかというとドンくさいが、中国女優のレベルアップが今もなおされているのがよくわかる。最近の銀座クラブの売れっ子ホステスもこんな顔立ちのタイプが多い。最後に向けては意外な展開に戸惑った。

3.謎が多い。
こういう作品だけにネタバレ厳禁であろう。それにしても映画を観終わった後にも謎を残す。もともとナレーターや余計なテロップはなく、ストーリーはつかみづらい映画だ。いくつかのシーンを経てようやく概要がつかめてくる。観終わった後、他の人のブログを見て、へえそういうことなの?と思うようなシーンも多い。

映画自体意外な展開で進むが、特に最後に向けて、もといた工場が解体されると聞いて工場に向かい、昔からいたという老人に会う。その時の会話がよくわからない。謎である。恋人のイェンズが言った言葉の意味も??これって観客に推理させるということ?レベルが高い。

薄氷の殺人(字幕版)極寒の中国で次々起きる殺人

映画「クリード 炎の宿敵」マイケル・B・ジョーダン&シルベスター・スタローン

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映画「クリード 炎の宿敵」を映画館で観てきました。


クリードの登場にはあっと驚かされた。いい作品だったと思う。
公開から2年がたち、その興奮を忘れていたが、今回再登場である。もちろん見るしかない。「ロッキー4」で登場したアポロを死に追いやったドラゴの息子が登場する。当然、あっさり退けるという設定では観客は喜ばない。物語の定石をたどるかがごとく、紆余屈折がある。それ自体に大きな意外性はない。それでもロッキ-シリーズが持つエネルギーは我々を興奮に導く。


映画の前半戦でタイトルをゲットしたアドリス・クリードの姿が映る。恋人ビアンカへのプロポーズも実り絶好調の時、ドラゴとその息子が挑戦をテレビで表明する。ロッキーは挑発にのるのはやめろという。相手にするな!ということだ。ところが、挑発はエスカレートし、結局アドリスは挑戦を受託する。ロッキーはセコンドに入らない。それで大丈夫なのか?

1.設定の巧みさ
「ロッキー」の第一作のあの興奮があったからこそこのシリーズが続いているんだと思う。考えてみればロッキー1作目の日本公開は自分が高校を卒業してまもない時、あれ?いつ見たのか忘れてしまった。例にもれず大興奮、最終の「エイドリアン」はいつ見ても涙なしではいられない。これは自分だけではないだろう。第1作目からなんと42年、自分と同世代か少し下の人間でなければ1作目をリアルで見ていない。よく続くなあ。

1作目が1976年度のアカデミー賞作品賞をとったとき、ライバルがすごい。「タクシードライバー」、「ネットワーク」、「大統領の陰謀」と今もDVD屋には必ずある名作だ。これらの作品を凌駕するんだから、全米が自分と同じようにロッキーの下克上に興奮したわけだ。


そして引退していたロッキーが宿敵アポロの息子をコーチするという「クリード」の設定に大興奮した。前作はよくできた作品だと思う。それで終わらず、今回も強敵を登場させる。物語はライバルの強さがすごいものであるだけ興奮させる。最初の試合は反則負けとは言え、ボロ負け状態。体格の違いから勝てるわけない相手だと思われる。すばらしい設定だ。

2.強すぎる挑戦者
今回も強敵を登場させる。ライバルがジョージフォアマンの全盛期を思わせる強さだけに面白い。最初の試合は反則負けとは言え、実質的にはボロ負け状態。ヘビー級はどんなにでかくてもそれ以上のクラスはない。体格とパワーの違いから勝てるわけない相手に見える。すばらしい設定だ。 いくらやっても勝てないと我々に思われる挑戦者の再挑戦を受けるため、再度ロッキーの助けを求める。出来すぎの感はあるが、きっとハッピーエンドなんだろうと思いながらもなんかわくわくする。


3.虎の穴
思わず吹き出してしまうような日本語訳があった。「虎の穴」だ。負け同然の戦いをした後、ロッキーの指導の下、特別な訓練所に向かう。そこで相手の強打に耐える練習を重ねる。その場所を「虎の穴」と訳していた。自分の小学生までタイムスリップしてしまうが「タイガーマスク」で、孤児院で育った主人公伊達直人がプロのレスラーになるため鍛えられた養成所を「虎の穴」という。「虎の穴」が次から次へとタイガーマスクに刺客を送るのがストーリー。我々は言葉を解するけど、40代より下の人はわかるのかなあ?


訓練の成果は次の試合にはでてくる。それでもつらい試合だ。
ただ、前回ほどの感動はなかったなあ。経済学でいう「限界効用逓減の法則」のようなもので、一杯目のビールが二杯目よりうまいというようなものだ。




映画「告発小説、その結末」 ロマン・ポランスキー&エマニュエル・セニエ

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映画「告発小説、その結末」は2017年のフランス映画である。


ロマン・ポランスキー監督の新作である。2011年日本公開の「ゴーストライター」の不安に満ち溢れた映像には魅せられた。これはその年のキネマ旬報外国映画ベストテンの1位である。「ゴーストライター」に比較すると、ひっそり公開されてあっという間に上映終了した「告発小説、その結末」であるが、個人的には映画終了まで不安心理に追われるサイコスリラー的映像に引き付けられた。

美貌のゴーストライターがベストセラー女流作家に近づいてくる。人付き合いの悪い作家がめずらしく心を許して付き合うが、次から次へと作家の周辺に悪いことが起きる。「シェイプ・オブ・ウォーター」でアカデミー賞作曲賞を受賞したアレクサンドラ・デスプラの不安を掻き立てる音楽でいやなムードを増長させる。美貌のエヴァ・グリーンのストーカーのような存在はその昔の「何がジェーンに起ったか?」でのベティデイヴィスの怪演を思わず連想してしまう。


心を病んで自殺した母親との生活を綴った私小説がベストセラーとなった後、スランプに陥っているデルフィーヌ(エマニュエル・セニエ)の前に、ある日、熱狂的なファンだと称する聡明で美しい女性エル(エヴァ・グリーン)が現れる。差出人不明の脅迫状にも苦しめられるデルフィーヌは、献身的に支えてくれて、本音で語り合えるエルに信頼を寄せていく。まもなくふたりは共同生活を始めるが、時折ヒステリックに豹変するエルは、不可解な言動でデルフィーヌを翻弄する。はたしてエルは何者なのか? なぜデルフィーヌに接近してきたのか? やがてエルの身の上話に衝撃を受けたデルフィーヌは、彼女の壮絶な人生を小説にしようと決意するが。。。(作品情報より)


最初にサイン会で読者の要望に応じるデルフィーヌは気分にすぐれず、サイン会を中座してしまうくらいむしろ人嫌い。それなのに愛読者だと言って近づいて来た謎の女エルと親しくなる。彼女は向かいのアパルトマンに住んでいるゴーストライターだという。夫とは死に別れたらしい。デルフィーヌの部屋に出入りするようになった後で、家主から追い出しを食らったとエルは同居をお願いする。そうすると、エルの行動はエスカレートする。PCのパスワードを巧みに聞き出し、デルフィーヌのクライアントや大切な友人たちにまで、頼みごとを断るメールを勝手に送りつけてしまうのだ。

1.エルの怖さ
第三者の他人がある家庭に入ってきて錯乱させるというのが、怖いストーカー映画のパターンである。「ゆりかごを揺らす手」の家政婦や「エスター」の同居する女の子などから感じる同居人の怖さは格別である。いずれも大暴れだ。この映画ではエヴァ・グリーン演じるエルが怖さを炸裂させる。007のボンドガールを演じたくらいの美貌を持っているだけに、悪女的ギャップに我々がびくつく。いったいどうなっていくのであろうかと?

主人公デルフィーヌを執筆に向かわせるため、すべての雑音を遮断するという名目を言ってはいる。映像に映る他の悪さはエルがやったとは特定できないが、すべてはエルと付き合うようになってからの出来事だ。デルフィーヌに来たメールに対して相手に失礼な返事を書いたり、フェイスブックのアカウントを勝手につくって炎上させたり現代的な悪さも見せる。


ここでのエヴァ・グリーンは過去に出演した作品とはちがった美貌を見せる。どぎつい化粧がやわらいでいる。インテリ的要素を見せるためか?主人公デルフィーヌが自分をとりまく困った出来事に当惑するのと対照に毅然とした顔を見せ、悪さを働く。いったいどういう結末にもっていくのか?そういう謎づくりがこの映画の面白さだ。

2.ロマン・ポランスキー組
英国首相も登場し政治的な要素も強かった「ゴーストライター」の題材とは全く違うんだけど、同一の撮影者や音楽構成者による不安を観客に感じさせる音と映像が類似している。個人的には好きだが、この映画って「ゴーストライター」の二番煎じ的な部分もある。それでも不朽の名作「チャイナタウン」「ローズマリーの赤ちゃん」といった一時代前の作品から映画に携わっているロマン・ポランスキーならでの観客誘導術は見事である。ここでは小技にこだわるヒッチコックというより観客を突然驚かせて楽しむブライアン・デ・パルマへの類似を感じる。


ここでは自分の妻のエマニュエル・セニエを起用する。もう大ベテランだ。映画「ナイトクローラー」で脚本家出身のダン・ギルロイ監督が自分の妻のレネ・ルッソをヒロイン的に使っていた。年とっても色っぽい女だが、さすがにババア。場末のスナックのママのようだ。ある意味似ているねえ。日本でいえば、やくざ映画時代の深作欣二監督が自分の妻の中原早苗を脇役で使ったのと同じかな。

映画「七つの会議」野村萬斎

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映画「七つの会議」を映画館で観てきました。


池井戸潤原作の映画化である。半沢直樹シリーズでの常連である香川照之、片岡愛之助、及川光博が脇を固める中で、狂言師野村萬斎が主人公となる。P社を連想させる大阪本社の電機会社ゼノックスの系列会社東京建電を舞台にする。家電や列車の座席などをつくっている会社だ。割とオーバーな演技をみせる芸達者の出演者がそろい、よくある会社内部におきるさまざまなネタが語られる。

最初は単純なパワハラネタかと思いしや、営業部の経費取り扱いに対する経理系社員の反発や社員同士の不倫などよくありがちな話題に移る。そして、不良品に対する企業対応が語られる。よくありがちなネタだけど、それぞれのドラマと自分の会社での出来事を照らし合わせたくなる話も多い。出演者も男性が大半でむしろ男の物語である。ふつうはいったん話を終えてエンディングロールという流れであるが、エンディングロールを出しながら、最後の最後まで時間を使ってストーリーを見せていく珍しいパターンだ。映画として上質というわけではないが、最後まで楽しませる。

都内の中堅メーカー、東京建電の営業一課で係長を務めている八角民夫(野村萬斎)。最低限のノルマしかこなさず、会議も出席するだけという姿勢をトップセールスマンの課長・坂戸宣彦(片岡愛之助)から責められるが、意に介することなく気ままに過ごしていた。営業部長・北川誠(香川照之)による厳格な結果主義のもとで部員たちが疲弊する中、突如として八角がパワハラで坂戸を訴え、彼に異動処分が下される。そして常に2番手だった原島万二(及川光博)が新課長に着任する。(作品情報より)

いきなり営業会議の場面が出てくる。香川照之扮する営業部長が及川扮する営業二課の課長を叱責する。計画達成していないのだ。そしてもともとの目論見より高い数字を言わさせられる。一方片岡愛之助扮する営業一課長は連続で計画を達成している。逆に褒められている。その時、会議の内容を聞いていない営業一課の課員がいる。それが主人公の野村萬斎扮する八角だ。この勢いであれば、すぐにでもクビだといわれてもおかしくない態度なのにそうならない。この八角はなんか守られているなと感じる。


そのあと八角はいかにも劣等生のふりをして、上司の営業一課長に逆らう。と言うわけで叱責する。それならパワハラだと会社に訴えると八角は言う。こういう時少し前だったら、逆らったパワハラを訴えた方が飛ばされるわけだが、ここでは営業一課長の方が人事部付になり失脚する。


でも、このパワハラ失脚の流れはここ最近の日本の一般会社ではあり得ることとなった。
こういうパターンは現実にある。

1.地方への左遷
この映画では、やたらと左遷の話が出てきて、小倉とか東北とか関連会社とか行かされるのが、いかにもサラリーマン人生の終わりのような話につなげる。この映画見ている人で左遷先のエリアで仕事している人にはおもしろくないよね。地方でも仕事をした後で今東京にいる自分から見ると、地方で仕事をしている方がよっぽど気楽だと思うんだけどね。池井戸潤はすぐ左遷で地方、片道切符と言うが、出世のチャンスはむしろ地方に広がっているんじゃないかな?こんなことで今の若い人に間違ったことを教えているんじゃないかな??


2.営業と経理の対決
映画の設定では営業部と経理部が仲わるい。営業が接待系で経費を使っていることに目を光らせて、あげ足をとってやろうと経理課長と課長代理が動く。営業一課の八角がねじ会社との会食で10万円の経費を使っている。あの不良社員の八角が下請けと会食?しかも、接待したねじ会社に替わる前よりむしろ原価が高くなっているのではないか。もしかして、バックマージン狙いに新しい会社に近づいた?このあたりに目をつけ、役員会で経理部が営業部を糾弾するという構図だ。

でもこんなことって役員会の話題かよ!?といった感じだね。映画を観ていて笑った。1000万円ならともかく10万円ごときの接待で役員会の話題なんてならないよね。ありがちな話だけど、むしろもう少し下のレベルでの話じゃないといった感じだ。会社の規模は東北やら小倉やら全国ネットであるような会社なんだから、本社経理部がとやかくいうような話でないでしょう。


3.不良品の取り扱い
いろいろな話があるけど、最終的な焦点は利益を増やすために安価なねじを使ったいすや列車の座席をつくったけど、ボディを支えるねじの強度は実験してみると弱い。ほっておくと事故が起きてもおかしくない。しかもこの会社は大会社ゼノックスの子会社だ。リコールするの?リコールしたらこの会社は一気に吹っ飛んでしまうよ。さあどうする?これは見てのお楽しみ

でも経営者もからんで会社くるみで安価な強度の弱いねじを使ったということが焦点になるけど、最近の経営者って品質には敏感だと思うよ。むしろ悪い製品をつくって顧客や一般大衆、マスコミにやられることの方が儲からなくて株主などに怒られるよりもよっぽどイヤなはずだ。経営者に忖度して悪い実験データを公表しないで製品を作り続けたなんてことあるけど、経営者が品質に疑問のある製品をつくる指示するなんてことはないんじゃないかな?自分を守るためにかなりびくびくしているのが現状の経営者でしょう。

いくつかあげたけど、なんかずれているなあといった印象を持ち続けた。八角のキャラも嫌いだ。
でも最後まで飽きずには見れた。

映画「女王陛下のお気に入り」レイチェル・ワイズ&エマ・ストーン&オリビア・コールマン

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映画「女王陛下のお気に入り」を映画館で観てきました。


様々な時代の英国女王が題材になった映画は多い。今回は18世紀初頭のアン女王である。ここでも子供がいないことが話題になるが、イングランドとスコットランドを合同して大英帝国をつくりあげたスチュワート朝最後の女王である。原題は「The Favourite」、まさに「お気に入り」、それがいわゆる好物でなく人としてのお気に入りであることはこの映画を観ているとわかる。

レイチェルワイズ、エマストーンという当代きっての人気女優とアン女王を演じるオリヴィア・コールマンの3人がいずれも主演といってもいい女性映画である。ここまで男性に存在感がない映画はめずらしい。「女の業」を顕著に見せるストーリーは昼メロのテレビドラマのようだ。でも、ここでは嫉妬や復讐の精神的対決だけでなく「性」の問題がクローズアップされる。これがこの映画の見どころである。

名優が中心となる女性映画ってなかなかうまくいかない気がする。それぞれの名女優が「わたしがわたしが」の世界に捉われるからであろう。この映画は違う。それぞれの技が均衡している女性映画として成功している作品だと思う。

時は18世紀初頭、アン女王(オリヴィア・コールマン)が統治するイングランドはフランスと戦争中。アン女王の幼馴染で、イングランド軍を率いるモールバラ公爵の妻サラ(レイチェル・ワイズ)が女王を意のままに操っていた。
そこに、サラの従妹だと名乗るアビゲイル(エマ・ストーン)が現れる。上流階級から没落した彼女はサラに頼み込み、召使として雇ってもらうことになったのだ。ある日、アビゲイルは、痛風に苦しむアン女王の足に、自分で摘んだ薬草を塗る。サラは勝手に女王の寝室に入ったアビゲイルをムチ打たせるが、女王の痛みが和らいだと知り、彼女を侍女に昇格させる。


イングランド議会は、戦争推進派のホイッグ党と、終結派のトーリー党の争いで揺れていた。戦費のために税金を上げることに反対するトーリー党のハーリー(ニコラス・ホルト)は、アン女王に訴えるが、ホイッグ党支持のサラに、女王の決断は「戦争は継続」だと、ことごとく跳ね返される。
舞踏会の夜、図書室に忍び込んで、本を読んでいたアビゲイルは、ダンスホールを抜け出して突然駆け込んできたアン女王とサラが、友情以上の親密さを露わにする様子を目撃してしまう。アビゲイルに目を付けたハーリーが、アン女王とサラの情報を流すようにと迫るが、アビゲイルはキッパリと断る。


アビゲイルはサラが議会へ出ている間のアン女王の遊び相手を命じられるが、女王は「サラは国家の仕事より私を優先させるべき」と駄々をこねる。アビゲイルは、女王の亡くなった17人の子供の代わりだという17匹のウサギを一緒に可愛がり、上手く女王をなだめるのだった。アビゲイルはサラの信頼を徐々に勝ち取り、女王のお守役を務める機会が増えていく。いつもストレートに物を言うサラに対し、従順なアビゲイルに女王は心を許していく。(作品情報より)

1.世界史の中のアン女王
改めて山川の世界史教科書を開いてみる。昔暗記した内容を想起する。17世紀の名誉革命までの間をちゃんと覚えたんじゃないかしら。おなじみのメアリー2世とオレンジ公ウィリアムことウィリアム3世までは記憶に残る気がしたが、名前は知っているけどアン女王の印象は少ない。教科書にも大ブリテン王国(大英帝国)をつくりあげたこと、アン女王の死後にハノーヴァー朝が始まったくらいしか書いていない。この映画の中でずっと話題になったスペイン継承戦争と言われる英仏戦争は、ルイ14世のフランス側の出来事のように世界史の教科書は語っている。まさに正反対からとらえているのだ。


でもこの女王おもしろい人だ。痛風で痛みを強く訴えているシーンには、飲みすぎぜいたく病としての痛風で苦しんでいる現代日本のサラリーマンを連想してしまう。常に杖をついて歩くのがこの女王の苦しみを示している象徴的なシーンだ。PH値なんて数字はあるわけないよね。アビゲイルが森林で摘んできた薬草で治るシーンも効果的に映し出している。女官長というより侍従、戦前の日本でいえば内務大臣のようなサラは戦争推進派である。その一方でアン女王はもういい加減辞めたらといった感じである。それでも心身で結ばれている二人の絆は強い。そこに突如あらわれたのがアビゲイルである。じわりじわりアビゲイルの存在感が強くなる。


2.性的表現
英国王室の歴史を描いた映画でも性的な表現はある。それこそエリザベス1世の時代を描いたアカデミー賞作品の「恋するシェイクスピア」でもグゥイネス・パルトロウはしっかり脱いでいた。ここではアン女王とサラ、アビゲイルそれぞれのきわどいシーンが用意されている。ビシッと宮廷内の諸事をおさえているサラとは性的にも結ばれている安心感がある。しかし、サラの従妹として突如あらわれたアビゲイルは全く違うムードを持っている。しかも、性的にも別の満足度をアビゲイルが与えていることをサラに言ってしまう。これは激しい嫉妬が起きるのは仕方ない。ここでは演技合戦の中、差別化するためか?エマ・ストーンがなんとバストトップを見せる。これには驚いた。シーンからして偽物ではなさそうだ。2人のライバルへの対抗とみた。


17回も妊娠して子供に恵まれなかったアン女王も悲劇である。この後150年以上たった明治初期の日本でも明治天皇は妾に何度も子宝をつくりながら生後生きなかったのがほとんどで、結果的には跡継ぎは大正天皇という体の弱い子しか残らなかった。そう考えると今の医療は進んでいるんだよなあ。

映画「翔んで埼玉」GACKT&二階堂ふみ

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映画「翔んで埼玉」を映画館で観てきました。


これはむちゃくちゃ面白い!
埼玉県民として気になる映画である。漫画家の魔夜峰央の原作を映画化とした作品。GACKT&二階堂ふみがダブル主演だ。娘と二人で平日にイオンシネマに行ったが、超満員。若い人というより、年寄りも数多い。埼玉の侮辱ネタだけど、館内は笑いの渦に包まれていた。出るは出るは、埼玉のディスネタ。最後のエンディングロールが終了するまで、満員の観客は誰も立たない。関西人は埼玉といっても全然見当がつかないだろうけど、東京はもとよりライバル千葉や神奈川の人、群馬、栃木の北関東の人が観てもおもしろいじゃないかしら?

結局間に5年の栃木県宇都宮市での生活を挟むが、合計で19年埼玉に住んでいる。東京の30年に次いで長い。大宮、川越、浦和と住んでいるが、住みやすいところだと思う。映画の中でもそれは強調される。確かにこれといった特産品はない。それだけに映画では埼玉の名産と言って草加せんべいがクローズアップされる。埼玉のご当地ソング、さいたまんぞうの「なぜか埼玉」も久々に聞いた気がする。埼玉のカラオケスナックでは誰も歌わないし、知らない人も多い。

埼玉県の農道を1台のワンボックスカーがある家族を乗せて、東京に向かって走っている。
カーラジオからは、さいたまんぞうの「なぜか埼玉」に続き、DJが語る埼玉にまつわる都市伝説が流れ始める――。


その昔、埼玉県民は東京都民からそれはそれはひどい迫害を受けていた。通行手形がないと東京に出入りすらできず、手形を持っていない者は見つかると強制送還されるため、埼玉県民は自分たちを解放してくれる救世主の出現を切に願っていた。

東京にある、超名門校・白鵬堂学院では、都知事の息子の壇ノ浦百美(二階堂ふみ)が、埼玉県人を底辺とするヒエラルキーの頂点に、生徒会長として君臨していた。しかし、アメリカ帰りの転校生・麻実麗(GACKT)の出現により、百美の運命は大きく狂い始める。


麗は実は隠れ埼玉県人で、手形制度撤廃を目指して活動する埼玉解放戦線の主要メンバーだったのだ。
その正体がばれて追われる身となった麗に、百美は地位も未来も投げ捨ててついていく。

2人の逃避行に立ちはだかるのは、埼玉の永遠のライバル・千葉解放戦線の一員であり、壇ノ浦家に使える執事の阿久津翔(伊勢谷友介)だった。東京を巡る埼玉vs千葉の大抗争が群馬や神奈川、栃木、茨城も巻き込んでいくなか、伝説の埼玉県人・埼玉デューク(京本政樹)に助けられながら、百美と麗は東京に立ち向かう。(作品情報より)



1.池袋
品川で生まれて育った自分からすると、池袋ってめったに行かないところである。軍艦のような西武デパートがあるといっても、渋谷に行けばなんでもある。新宿すらあまり行かなかったなあ。でも、埼玉に住むようになってから池袋に寄るようになった。埼玉県民は池袋に行くと落ち着くという人が多い。何度も聞いたことがある。東武、西武に埼京線、今は神奈川までつながる湘南ライナーが通る。エンディングロールのはなわの歌でも「やたらやたら池袋で遊ぶ」と歌われる。確かにそうかもしれない。

2.千葉への対抗
千葉にはディズニーランドに、成田空港、そしてららぽーと東京ベイと年間1000万人を超える人が訪れる場所がある。観光では大きく出遅れている。小江戸川越や秩父長瀞なども注目されているが、比較にはならない。しかも、千葉には海がある。埼玉が千葉に対抗して、茨城県の太平洋からトンネルで海水を引き込んだなんて馬鹿げた話が笑える。会社の仕事で千葉へ5年通った。人口は埼玉の732万人に対して、千葉は627万人で埼玉の方が多い。県立の雄浦和高校があって、早慶の付属高校があるなんてセリフも映画にある。でも民度は千葉の方が高いかもしれない。

映画ではGACKT率いる埼玉県民と伊勢谷率いる千葉県民が流山で川を隔てて相対する場面がある。これが面白い。それぞれの出身の芸能人なんかの大きな絵を出して対抗する。いったいこの対決どうなるんだろうと思いつつも、しばらくすると両県民が一緒になって都庁に乗り込む場面になるのが笑える。埼玉と千葉の人口を合わせると1360万人で全国の人口の一割を超える。両県の映画好きがこの映画を見るなら、相当な興行収入になりそうな気がする。



3.GACKT
正月というと「芸能人格付けチェック」を見るのが楽しみである。ここではGACKTが55連勝を持続中である。すげえなあという畏怖の対象だ。今はXジャパンのYOSHIKIと一緒に出演している。流山の川を隔てての千葉埼玉対決では千葉館山出身のYOSHIKIがクローズアップされていたのがおもしろい。40代のGACKTが高校生役というのは、本人は無理があるといって断ったらしいが、不自然さがまったくないのが凄い。しかも、男色の色彩があり、伊勢谷友介とキスしてしまうのにも驚く。しらこばとの柄のある草加せんべいでの踏み絵をするかで埼玉に縁があるどうかをはかるシーンで苦渋の表情を見せるGACKTがかわいい。



4.貧乳ナンバー1の埼玉
これが図入りで何回か出てくる。しかも、逆に巨乳好きナンバーも埼玉だと。何それ?そんな統計誰がとるの?という感じだ。でも、一緒に映画を見に行った娘が妙に感心していた。確かに東京の大学に行くまで、細身で胸の大きいという人に出会ったことがないという。しかも、修学旅行で大阪に行ったときに、お笑いを見に行って埼玉から来たといったら貧乳ナンバー1の埼玉だねと言われたという。なんじゃそれ!確かにうちの娘も少なくとも巨乳ではない。

最後の埼玉県を徹底的にディスるはなわの歌がえらく面白い。最後まで笑える。
でも佐賀じゃなくて春日部出身とはびっくり。

映画「運び屋」 クリント・イーストウッド

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映画「運び屋」を映画館で観てきました。


今や89歳になろうとしているクリントイーストウッドが監督兼主演でこの映画に取り組む。予備知識若干でこの映画を見たが、ラストに向け、涙がでて仕方なかった。明らかに男性が見ていてジーンとくる映画であろう。一度も警察のお世話になったことのない90歳に近い老人が麻薬の運び屋として検挙されたという新聞記事に基づいたフィクションである。メキシコ系の怪しい組織の人間が登場するが、クライムサスペンスというよりは主人公の家庭の話もクローズアップさせるヒューマンドラマといえよう。

フランスの高速鉄道の中でのテロを防いだ事件を描くイーストウッドの前作はあまりいいとは思えなかった。フランスで起きた事件も「ハドソン湾の奇跡」での着陸事件も短時間での事件ということでは変わりはない。ただ、作品としての質には差があると感じた。しかし、この映画の情感はいかにも後期クリントイーストウッド作品の持つ趣きで心にジーンと響く。素晴らしい。


90歳になろうとするアール・ストーン(クリント・イーストウッド)は園芸でデイリリーという品種を作っていた。しかし、インターネット販売に押され、廃れ気味で自宅も差し押さえをくらう状態に陥っている。家族からも見放され、孤独な日々を送っていた。ある日、偶然知り合った男から「車の運転さえすれば金をやる」と話を持ちかけられる。なんなく仕事をこなすが、それはメキシコ犯罪組織によるドラッグの運び屋。気ままな安全運転で大量のドラッグを運び出す。麻薬取締局はメキシコマフィアの体制破壊に乗り出していた。司法取引を企てるメキシコ人の内部通報を得て、麻薬取締局の捜査官(ブラッドリー・クーパー)の手が迫るのであるが。。。

1.主人公のパーソナリティ
自宅近くでリリーを育てている。きれいな花である。アメリカではインターネットによる生花販売が進んでいるのであろうか、それに押されるように商売も傾いている。気が付くと自宅は差し押さえられている。これまで家を顧みず、全米を股にかける商売をしてきた。娘の結婚式すら出席していない。悪いことはしたことはないし、警察のお世話になったこともない。


そういう男が何気なくメキシコの麻薬売人から運転さえしてくれれば金になる仕事があるよと言われ、カー用品販売店のガレージに向かい依頼を受ける。言われたとおりに仕事をしたら、車のサイドボックスには多額の金がある。驚く。一度きりにしようとしたが、またやってくれよと言われ、自宅を取り戻すための金や子供の歓心を得るための金など入用で再度メキシコマフィアのアジトに行くのだ。

2.クリントイーストウッドの想い
この映画を観て、クリントイーストウッドが泥棒を演じた「目撃」を連想した。ローラ・リニーが娘役を演じる。泥棒稼業というアウトローのクリントイーストウッドが、今や弁護士となっている娘と熱い交情をかわす話の流れにこの映画がダブる。家庭を顧みず、色んな女たちと浮名を流したイーストウッドが、この映画の主人公に自分をだぶらせる。そんな想いを妙に感じる。


「アメリカンスナイパー」で主演を演じたブラッドリー・クーパーが麻薬捜査官を演じる。追う側と犯人が偶然にも出くわし、会話を交わす。普通のお爺さんであるイーストウッド演じる主人公のことを全く疑っていない。その時の会話に妙味を感じた。



映画「グリーンブック」ヴィゴ・モーテンセン&マハーシャラ・アリ

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映画「グリーンブック」を映画館で観てきました。


「グリーンブック」は2018年度アカデミー賞作品賞に輝く作品。黒人差別問題が顕在化していた1960年代の物語である。ソ連レニングラードの音楽院で学んできたインテリ黒人ピアニストが米国南部の差別が激しいエリアでコンサートツアーを行う。その時に運転手兼ボディガードで雇ったイタリア系白人の主人公と一緒の珍道中を描いたロードムービーである。

1960年代を描いた美術と時代を感じさせる音楽も素敵、きれいな色合いで心地よく見ることができる。この当時に黒人ピアニストがカーネギーホールの階上にある高級アパートに住んでいるなんて話も凄いが、白人ボディガードを雇ってツアーに回るなんて話は興味深い。最初から最後までエピソード満載である。しかし、白人とはいえ、イタリア移民である。決してアッパー層ではない。

時は1962年、ニューヨークの一流ナイトクラブ、コパカバーナで用心棒を務めるトニー・バレロンガ(ヴィゴ・モーテンセン)は、ガサツで無学だが、腕っぷしとハッタリで家族や周囲に頼りにされていた。ある日、トニーは、黒人ピアニストの運転手としてスカウトされる。彼の名前はドクター・ドナルド・シャーリー(マハーシャラ・アリ)、カーネギーホールを住処とし、ホワイトハウスでも演奏したほどの天才は、なぜか差別の色濃い南部での演奏ツアーを目論んでいた。二人は、〈黒人用旅行ガイド=グリーンブック〉を頼りに、出発するのだが─。(作品情報より)


1.1960年代の黒人差別
この映画の時代設定である1962年からしばらくたっても、黒人差別問題は変わらずにあった。グレゴリーペックが黒人の冤罪を晴らそうとした弁護士を演じた「アラバマ物語」が1962年、この作品でアカデミー賞主演男優賞を受賞した。ここでの差別はちょっと残酷だ。シドニーポワチエが敏腕黒人刑事を演じた「夜の大捜査線」は1967年、南部エリアにいるだけでとんでもない仕打ちを黒人が受けることを示す。キング牧師暗殺の1968年となっても状況は変わっていない。陸上200m走の表彰台で黒人メダリストが差別に抗議をこぶしで示したのも1968年のメキシコオリンピックだ。

グリーンブックとは1936年から1966年までヴィクター・H・グリーンにより毎年出版された黒人が利用可能な施設を記した旅行ガイドブックのことを言う。高尚な会場で正装で演奏しても、黒人差別問題で特別扱いされない。黒人にしか入れないモーテルに泊まる。「グリーンブック」でその場所を探す。

差別の激しい南部エリアで軽く酒を飲もうとバーに入ると、現地の白人たちにボコボコにいじめられる。そういう場面で何度か腕っぷしの強いイタリア系白人運転手に助けられるのだ。取り締まりの警察官にブタ箱にぶち込まれたりたいへんだ。でもここで窮地をすくったビッグネームがでてくる。見てのお楽しみだが、彼も数年後とんでもない目に合う。


ドン・シャーリーことドナルド・ウォルブリッジ・シャーリーという名を聞くのははじめて、チェロとウッドベースを従えて演奏する音はジャズというよりも、ポップスの色彩が強い音楽だ。ただ、リトルリチャードの「ルシール」がラジオで流れているのを聞いて運転手トニーにこれって何?と聞く場面がある。おいおいどういうこと?それまではクラッシックしかやっていなかったのか。今回南部のツアーはいつも満員だけど、この当時に南部でも知名度あったのかな?というのが疑問?

2.二人の出会いとヴィゴモーテンセン
ニューヨークの「コパカバーナ」といえば知る人ぞ知る有名ナイトクラブだ。そこで用心棒をしていた主人公トニーは、店で暴れる酔客を店外でボコボコにする。マフィア系にも睨まれている存在だ。そんな日常であったが、店が改装でしばらく閉店となり、日銭を稼ぐ必要がでる。そんなとき見つけた働き口が運転手の仕事。ドクター○と聞き、面接に行ってみるといかにもアフリカの服装を着た黒人がいる。何それ?!一旦は交渉不成立であったが、南部での仕事を考えてトニーがいいという推薦もあり採用する。


紆余屈折があり、次第に友情が深まる。そこからの話は省略するが、妻への手紙の推敲をドンが手伝ったりステキな話が多い。今回はマハーシャラ・アリが助演男優賞となった。フレディーマーキュリー役と主演男優賞で対したのはちょっと不運だが、ヴィゴモーテンセンの演技は称賛に値する。役づくりで少し太った。「偽りの人生」(2012)、「ギリシャに消えた嘘」(2014)での演技も好きだ。今回は太目なイタリア系のいでたちで迫力を見せる。

でも、彼は「ヒストリーオブバイオレンス」(2005)で見せてくれた役柄が何といっても一番かっこいい。テンポがよく、日活全盛、いや高倉健の「夜叉」を彷彿させるようなストーリーでアクション映画としても傑作である。当然今回よりはシャープでしまった元殺し屋である。やせている彼の方が凄みを感じる気がするが、今回のパフォーマンスでこれからやるのかな?


この映画の一番素敵なのはエンディング、こういう終わり方でよかった。トニーの妻役のかわいらしい演技が素敵だ。

映画「マイ・ブックショップ」

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映画「マイ・ブックショップ」を映画館で観てきました。


「マイ ブックショップ」は本好きには気になる作品である。先入観なしで見に行った。夫を亡くした1人の若い未亡人が古い空き家を改装して本屋を始めるという話である。本を読む人があまりいない海辺の小さな町で、本屋の経営に悪戦苦闘する顛末記である。

明らかにロケハンに成功している映像に映るのどかな海辺の町はなかなか趣がある。しかし、排他的な人たちが町には多く、数々の葛藤の中で主人公が味わう苦難は見る前からすると予想外のものであった。見ていて気分のいいものではないが、引き込まれる。


ロマンポランスキー監督「ゴーストライター」の映像を思わせるどんよりとした英国らしい曇り空だ。その中で衣装、美術いずれも色彩設計に優れる。海辺の家がかわいらしくて印象的、ロケは北アイルランドのようだ。どんな物語にも必ず葛藤がある。そうでなければ面白くない。でもこの主人公は徹底的にやられる。腹立たしいくらいだ。


1959年、イギリス。戦争で夫を亡くしたフローレンス(エミリー・モーティマー)は、書店が1軒もない海辺の小さな町に、夫との夢だった書店を開く。古い邸宅に40年以上引きこもっている、町で唯一の読書家ブランディッシュ氏(ビル・ナイ)の支えもあり、店は賑わいを見せる。


しかし、彼女のことを快く思わない、町の有力者ガマート夫人(パトリシア・クラークソン)の画策により、次第に店の経営が立ち行かなくなっていく。フローレンスを助けるために、ブランディッシュ氏はある行動に出るのであるが。。。(作品情報より引用)

⒈女性の陰湿ないじわる
田舎町で本屋を開く彼女に奇異の目が周囲から浴びせられる。その1番のイジメ役を演じるのがパトリシアクラークソン、英国の名優である。せっかく開業した本屋を自分が芸術家向けのサロンをやろうと思っていたのなんて言ってやめさせようと妨害する。自分と同世代だが、嫌味の強さに閉口する。おっと!ここまで主人公を落としめるのかいと脚本家に言いたくなるようなストーリー、これは女のいやらしさを一番わかっている女流監督イザベルコイシェならではの女の陰湿ないじわるの巧みな表現であろう。



⒉優しい援助者
小さな町にできた本屋に好感を持って小学生の女の子が店を手伝う。でも、嫌がらせは少女の元にも向かう。小学生の労働が許されるのか?と労働管理当局へと訴えが向かう。それでも、長い間家に引きこもっていた読書家のおじいさんが、いじわるに苦しむ彼女を優しく包んで助けようとする。映像を見ていて、こんな老人になりたいなって思ったくらいのいい男である。しかし、彼にも持病があった。それでも助けるため飛び込んでいく。なんとかしてくれと祈ってみるが。。。


ラストは何とも言えない気分である。スッキリしたとは言えないなあ。巧い終わり方だけど

映画「さよならくちびる」小松菜奈&門脇麦

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映画「さよならくちびる」を映画館で観てきました。

小松菜奈と門脇麦の主演二人のパフォーマンスに引き込まれる心地よい作品である。
久々のブログアップである。4月上旬に大ケガをしてしまった。感想を伝えるほどの映画に出会える時間がなかった。


門脇麦は「止められるか俺たちを」で演じた若松孝二監督に助手でついた女の子の印象が今も残る。次作に注目していた。ここでは人気俳優小松菜奈とインディーズ系フォーク系デュオを組む。解散することを決めた女性デュオが最後のツアーにのぞむロードムービーである。女性デュオには成田凌演じるマネジャー兼バックギターを弾く男が帯同している。ロードムービーといっても、行った土地でいろんな人と出会い起きる事件を描くというより、バンド結成までのいきさつを含めて3人の姿をずっと追っていく。

実際には門脇麦が作詞作曲をしてデュオをリードしている設定。かなり歌はうまい。小松菜奈は髪の毛をバッサリ切りショートカットである。雰囲気はいつもと違う。独特のトーンの歌は心地よく胸に響く。2人は素人芸を超えて実際にデビューするという話があるようだ。映画の中で再三再四同じ曲が流れ、最後に至るまでに初めて聞くこれらの曲が頭に刻み込まれている。ジーンと残る主題歌「さよならくちびる」の感触は悪くない。


「二人とも本当に解散の決心は変わらないんだな?」
全国7都市を回るツアーへの出発の朝、車に乗り込んだデュオ〈ハルレオ〉のハル(門脇麦)とレオ(小松菜奈)に、ローディ兼マネージャーのシマ(成田凌)が確認する。うなずく二人にシマは、「最後のライブでハルレオは解散」と宣言するのだった。
2018年7月14日、解散ツアー初日から波乱は起きる。別行動をとったレオが、ライブに遅刻したのだ。険悪なムードの中、何ごともなかったかのようにステージに現れるハルレオ。トレードマークのツナギ姿に、アコースティックギター。後ろでシマが、「たちまち嵐」を歌う二人をタンバリンでサポートする。二人が出会ったのは、バイト先のクリーニング工場。上司に叱られ、むくれていたレオを、ハルがいきなり「ねえ、音楽やらない?あたしと」と誘ったのだった。(作品情報 引用)

1.ロードムービー
男性マネジャーと女2人のロードムービーと言えば、女性プロレスラーとマネジャーの珍道中を描いたロバート・アルドリッチ監督の「カリフォルニア・ドールズ」を連想する。刑事コロンボで有名なピータ―フォークのマネジャーが個性的で、お金にもうるさい奴だった。ここでのマネジャーにがめつさはあまり感じられない。世捨て人のような奴だ。女子プロレスラー2人は仲良かったが、この2人の関係はいつの間にか最悪になっている。マネジャーは何とか引っ張って最終会場の函館まで連れて行こうとしている。どうせ最後だというなら、解散ということをリークしたらとライブハウスの店主に言われる。商売っ気出して解散をPRするシーンはないが、そのあと急に観客が増えるところから、何かしでかしたと連想させる。もうやめないでと言われ2人は戸惑う。


ここではいろんな地方都市のライブハウスを映し出す。浜松、大阪、新潟、酒田、弘前そして函館、全国方々にこういうライブハウスってあるんだなと思ってしまう。それぞれの都市の町並みはそんなに映らないが、大阪の路地裏を小松菜奈が歩き、古レコード屋でマネジャーの成田凌と出会うシーンがある。古いロックのレコードをあさる小松が可愛い。このシーンがなぜか素敵だ。いかにも大阪っぽいエリアを歩く2人を引っ張るように手持ちカメラが映し出すドリーショットがウディ・アレンの映像タッチのようで好きだ。

2.何で解散するの?
もともとレオ(小松菜奈)を誘ったハル(門脇麦)には才能がある。詩もメロディも評価されている。インタビューされるとすると、話の矛先はハルに向かう。妬かなくてもいいのにレオの機嫌が悪くなる。しかも、レオは男出入りがよくない。変な男を好きになる。DVな野郎もいて顔に青タンをつくってしまうこともある。具体的にこうやって仲が悪くなったというシーンはないが、そういった積み重ねで仲たがいする。しかも、メンバー同士の恋愛はご法度といいながら三角関係は徐々に複雑になっている。



そんな2人も最終函館のレンガ倉庫に行きつく。ファンが殺到し、解散を惜しんでいる。果たしてどうなるのであろうか?

映画「ビブリア古書堂の事件手帖」黒木華

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映画「ビブリア古書堂の事件手帖」は2018年公開の日本映画

「古書」というキーワードには弱い。しかも、三島有紀子監督の「幼な子われらに生まれ」はよくできた作品と感じたのでDVDを手に取る。恥ずかしながら「ビブリア古書堂の事件手帖」が人気文庫であることは知らず、もちろん原作は未読である。文学オタクの若き店主が営む古本屋にある太宰治の希少本をめぐって繰り広げられる話である。


人見知りだけれども、本に関する博学だという黒木華が演じるキャラには魅かれる。しかも、そのキャラを巧みに演じている。もう一人の主人公である古本屋に働きにきた野村周平演じる若者の祖母の若き日のラブストーリーも悪くないが、時代考証その他に難ありと感じる。原作を読んだことがないので評価はしずらいが、脚本が弱い気がする。至る所に疑問や矛盾を感じるところがある。でも、この主人公のキャラで少しは帳消しにできるかもしれない。

鎌倉の片隅にひそやかに佇む古書店“ビブリア古書堂”に、五浦大輔(野村周平)という若者がやって来る。亡き祖母(渡辺美佐子)の遺品の中から出てきた夏目漱石の『それから』に記された著者のサインの真偽を確かめたいという。若き店主の篠川栞子(黒木華)は極度の人見知りだが、ひとたび本を手にすると、とめどなく知識が溢れ出す。


そしてその優れた洞察力と推理力によって、栞子はサインの謎を解き明かし、大輔の祖母が秘密の恋に落ちていたと指摘する。過去のある出来事から本が読めなくなった大輔だったが、それが縁となりビブリア古書堂で働き始める。そんなある日、栞子は太宰治の『晩年』の希少本をめぐって、謎の人物から脅迫されていると大輔に告白。その正体を探り始めた二人は、漱石と太宰の二冊の本に隠された秘密が、大輔にかかわる一つの真実に繋がっていることを知る。(作品情報 引用)



1.北鎌倉と題材設定
桑田佳祐の妻である原由子がエンディングで歌う「北鎌倉の思い出」がいい。原作ではビブリア古書堂は北鎌倉にある古本屋ということになっている。自分の大学の同期が北鎌倉から山に向かって少し上がったところに昔から住んでいる。はじめて夜行ったときに真っ暗で怖かった。隣家に小津安二郎もいたらしい。東出昌大と夏帆が演じる不倫話で2人で密会する木陰のエリアがその友人宅の近所の匂いがした。野村周平が自転車で走らせる街にこの地の住居表示である山ノ内の表示があったので北鎌倉でロケかと思ったら、ロケ地は常陸太田とか別のところだったらしい。


映像で鎌倉を連想させるとなると、江ノ電を映すのがいちばんであろう。ただ、北鎌倉となると違うよね。長谷に本を盗んで人の家を探しに行くシーンがある。そこには私の父母の間を結び付けた母の先輩がいた。豪快な女性だった。実は大佛次郎の有名小説のモデルである。彼女も自分の夫がありながら、政治家でもある有名な弁護士の彼女になっていた。山手の港の見える丘公園に今も大佛次郎記念館がある。でも大佛次郎も鎌倉文化人である。若き店員の亡き祖母のラブストーリーで東出昌大が心を寄せる男を演じる。その男は裕福な家で引きこもりのように小説を書いている人物設定となっている。鎌倉に住む自分の友人の父親も売れるまで引きこもっていた似たような小説家志望だったらしい。鎌倉はそういう風土だったのであろう。それなので題材自体には不自然さは感じない。


2.1964年って
東出昌大と夏帆が演じる秘密の恋の出会いは、夏帆の夫が営む食堂に東出昌大が食べに来たことからはじまる。その時1964年だということを示すために食堂の中でマラソン中継をやっている。国立競技場に2位で入場した円谷幸吉をヒートリーが追い抜く劇的なシーンを応援している姿である。でも、この店内の映像ちょっと古すぎない?10~15年くらい昔って感じかな?鎌倉って時間が止まっているところだけど、ちょっと違う気がする。


自分の家の別宅が江ノ島の腰越にあった。住所は鎌倉市腰越である。品川駅から横須賀線に乗って鎌倉に向かう。昭和30~40年代の横浜駅では大勢の崎陽軒の売り子がホームでシウマイを売る。電車も気を利かせて数分停車する。食べ始めてしばらくすると、右手に大船の観音様を見る。そして鎌倉につく。江ノ電に乗り換えるだけだけど、鶴岡八幡宮に向かって鎌倉街中もたまに歩いた。こういう風貌の食堂もあったかもしれない。でも1964年はもうちょっと現代に近づいていると思う。ちょうどそのころ祖母役の渡辺美佐子さんはTV「ただいま11人」にでて現代風娘を演じていた。時代考証教えてやってくれ。


3.ムカつく若者
ビブリア古書堂を手伝うようになった五浦大輔(野村周平)は店主の篠川栞子(黒木華)が大事に持っているお店で一番金額的価値のある本、太宰治の「晩年」を守ろうとする。大輔は狙いをつけてくる連中から守るために自宅で保管しようとする。栞子は結構ですといいたいところだが、むりやり持っていく。ところが、何者かに襲われ、本は奪われてしまう。ショックを受ける大輔。栞子に謝りに行くが、それは本物の希少本でないという。大輔は自分のこと信じてもらえなかったのですかと古本屋を辞めさせてもらうという。


このシーンがいちばんむかつく。自分が失くしてしまったことをすっかり忘れて、信じてもらえなかったとよく言えたもんだ。あえてそういうストーリーにしていると思うが、そのあたりから大輔というキャラにムカついてしまった。栞子さんが身内をも騙して隠すのは当然でしょう。後半はだれる。この男は責任感のかけらもないし、許せない若者だ。

いろいろ話はあるけれど、「幼な子われらに生まれ」での三島有紀子監督の手腕を期待したけど、さほどでもなかった。あの映画は脚本が奇才荒井晴彦でさすがにそれと比較するのは酷かもしれない。主演のキャラもいいし題材自体に不自然さは感じないけどちょっと弱かったという印象。


映画「アラジン」ウィル・スミス

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映画「アラジン」(字幕版)を映画館で観てきました。


娘と2人で楽しい時間を過ごせた。
ディズニーのファンタジーだし、当然絢爛豪華な映像にお金がかかっている。こういう映画だとストーリーの信憑性とか難しいことは何も考えなくてよい。映画が始まってすぐ「ディズニーシー」のアラビアンコーストの中にいるかのような音楽が流れ、気分もディズニーの世界に頭の構造がチェンジしていく。そこに映し出される猥雑な感じのアグラバーの街、主人公アラジンが活劇のように立ち回るのを観ているだけでハイな気分がますます高まる。そこにジーニー役の(ウィル・スミス)が大魔神のような存在感を持って出現、ファンキーな彼のキャラにピッタリだ。

ストーリーが進んでいくが、内容ははっきり言ってどうでもいい。ただ、ひたすらディズニーのアラビアンコーストの世界に身を任せているだけだ。

アグラバーの街で相棒の猿・アブーと貧しい暮らしをしている青年アラジン(メナ・マスード)は、お忍びで王宮の外にでた王女ジャスミン(ナオミ・スコット)と出会う。


ジャスミンを侍女だと思ったアラジンは監視の目をかいくぐり宮殿に入り込む。ところが、王国を乗っ取ろうと企む、邪悪な大臣ジャファー(マーワン・ケンザリ)に捕まってしまう。ジャファーは強大な力を得るために魔法のランプを狙っている。そのためにアラジンとアブーを洞窟に忍び込ませて持ち帰らせようとするが失敗する。その窮地を“ランプの魔人”ジーニー(ウィル・スミス)に助けられる。しかも、ジーニーには“3つの願い”を叶えてあげるといわれる。アラジンは王子になりたいとジーニーに願い、ある国の王子ということでアグラバーの街に凱旋するのであるが。。。


1.ミュージカルの要素
「ディズニーシー」のアラビアンコーストにいるような音楽が鳴り続ける中で、王女ジャスミン(ナオミ・スコット)の華麗な歌が響き渡る。これがいい。ヒロインにピッタリのなかなかの美貌である。エキゾティックな風貌は中東の血が入っている女優さんと思いきや英国人だ。母親がインド系移民というプロフィルだそうだ、なるほど。ディズニー映画の名作曲家アラン・メンケンと、「ラ・ラ・ランド」「グレイテスト・ショーマン」のチームによる新曲はいずれもいい。そこに名曲「ホール・ニュー・ワールド」も肝の部分で流れる。空飛ぶじゅうたんに乗って2人があちらこちら飛び回るシーンは映画館ならではの臨場感で十分楽しめる。

2.アラジンと魔法のランプ
ストーリーの流れのベースは一緒である。悪者がいないと葛藤が生まれないので邪悪な大臣ジャファーが活躍する。ふとしたことで魔法のランプがジャファーに渡り、それをこするとジーニーが出てきて、ジャファーの言うことを3つかなえるという。宮殿もアラジンもピンチである。そういったピンチも作りながらストーリーは流れる。怪人、魔人いろんな言い方があるけど、ウィル・スミスはうまいなあ。どちらかというと最近はシリアスな映画にでていることが多い。やっぱりコメディタッチがいいよね。


実写版っていいよ。本物の声を聞きたいから当然字幕で。ジャスミン(ナオミ・スコット)の声がきれい。評論家筋は一部高評価だけど、あとはどちらかというと低め、賛否両論の映画は見ろ!というのは鉄則でこれは正解だった。最後はインド映画のように全員でダンスだ。これでファンキーな気分をますます高揚させる。映画が終わって食事、イスラム史好きの娘とは言えさすがに中東料理はないので「ディズニーシー」アラビアンコースト同様のインド料理で昼食、楽しい映画なので辛めにして食も進んだ。

映画「教誨師」大杉漣

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映画「教誨師」は2018年制作の日本映画。

大杉漣の遺作というべき最後の主演作である。気になっていたが、とりあえず後回しにした。大好きな「孤独のグルメ」(鶯谷編)を見ていたら大杉漣が出ているので、これは「教誨師」を見ろということだなとDVD手に取る。


大杉漣が演じるのは死刑囚を相手するキリスト教の教誨師である。男5人、女1人の6人の死刑囚を受け持つ。変わった奴らだが、長い間生きていると似たような奴にあったものだ。きっとモデルはいるのであろう。まあ面倒な仕事だ。何かの間違い死刑囚となってしまったのであろう。彼らは刑務所でなく、拘置所で独房ににいる。独房の中の生活は映さない。

再審が必要とのことでH死刑囚が釈放された。長い間の拘置所生活で完全に精神が錯乱されているようにTVでは見えた。1人でこんな閉鎖空間にいたら頭がおかしくなってしまうだろう。かなり特殊な人物との会話を描いている。

プロテスタントの牧師、佐伯保(大杉漣)。彼は教誨師として月に2回拘置所を訪れ、一癖も二癖もある死刑囚と面会する。無言を貫き、佐伯の問いにも一切応えようとしない鈴木(古舘寛治)。気のよいヤクザの組長、吉田(光石研)。年老いたホームレス、進藤(五頭岳夫)。よくしゃべる関西出身の中年女性、野口(烏丸せつこ)。面会にも来ない我が子を思い続ける気弱な小川(小川登)。そして大量殺人者の若者、高宮(玉置玲央)。佐伯は、彼らが自らの罪をしっかりと見つめ、悔い改めることで残り少ない“ 生” を充実したものにできるよう、そして心安らかに“ 死” を迎えられるよう、親身になって彼らの話を聞き、聖書の言葉を伝える。しかしなかなか思い通りにはいかず、苦難の日々が繰り返される。(作品情報 引用)


教誨師という仕事を知ったのは小学生のころ「東京裁判」に関心をもち児島襄の本を読んだ時だ。A級戦犯が過ごす拘置所内での状況を花山教誨師が書いた本から引用している。東条英機、広田弘毅といった元首相が死刑判決をうけて、人生を達観視して悠然とその日を迎えている姿が描かれていた。今回の死刑囚はそのような品位はない。大杉漣演じる教誨師は一癖ある男女を相手にしている。でもこの教誨師にも複雑な過去があるのだ。

1.文盲の男
長い人生で文盲の日本人に自分はあったことがない。教誨師は面談中にこの人は字が読めないと気づく。性格は温和である。ホームレスだというが、結果として車での事故で殺人を犯したと告白する。文盲で運転免許は取得できるわけないからおかしいと思うが、よくテレビで長い間無免許だった人が捕まるなんて話を何度も見たことがある。そう考えれば、ありえないことではないかもしれない。起こした犯罪のディテールはわからないが、面倒な連中の中では応援してあげたい類だ。


2.やくざ上がりの男
こういうタイプはヤクザでなくてもたまに見る。お調子者である。立石のキャラはヤクザとは違うかな。俺のいうようにやってみろよと教誨師に何度も語りかける。口八丁手八丁で這い上がるタイプだ。教誨師に実はあの殺人事件殺したのは俺だとコソコソ話をする。でも教誨師はそれを額面通り受け取らない。死刑になったら、証拠がなくなるので当分は処刑はなくなるという死刑囚の思惑があるとみるからだろう。

処刑を恐れている。12月24日前になんでケーキが出るんだ。次は俺かと慌てふためく。


3.支離滅裂な関西女
言っていることが支離滅裂だ。存在しない拘置所職員の名前をだして、その職員はこう言っているという。自分の話のつじつまが合わず、話しているうちにヒステリーを起こす。


烏丸せつこは久々見た。四季奈津子の映画から40年近くの年月が過ぎ、彼女も64歳である。ボリュームたっぷりのバストをあらわにして、世の男性陣をとりこにしたのは嘘みたいな変わり様だ。おとろえたなあ。これが演技のために造られたメイクとなればすごいけど。

4.屁理屈にあふれた若者
大量殺人を犯したという。屁理屈を言って、自分の殺しを正当化する。斜に構えている若者だ。自分が1番嫌いなタイプで学園紛争の時期にはこういう奴は大勢いたかもしれない。教誨師にも強気で議論を吹っかける。教誨師もつじつま合わずタジタジだ。

リンゴを盗んだらコソ泥で捕まり、国を盗んだら支配者になるなんてのたまう。チャップリンが「殺人狂時代」で言った大量殺人なら英雄になるというセリフが脳裏に浮かぶ。この6人の中で最も嫌な奴だが、印象にも残る。



映画「少女娼婦 けものみち」内田裕也&神代辰巳

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映画「少女娼婦 けものみち」を映画館で観てきました。

名画座で故内田裕也特集をやっている。この日は映画に頻繁に出るようになった40代前半の2作の上映である。神代辰巳監督作品というと、同じ日活作品でもかなり大胆な演出がなされる。破天荒な内田裕也とは絶妙なコンビだと思う。これは見るしかない。


まずは1980年3月公開の「少女娼婦 けものみち」だ。ストーリーはどうってことない。高校生の女の子が大人の世界に一歩踏み入れる。2人の男と交わり懐妊が判明する。でもどちらの子かわからない。こんな話はどこにでもある話だ。吉村彩子はクレジットには新人とある。記憶にないなあ。初めて見るけどいい女だ。男出入りの激しい母親のもとに生まれて育った16歳の女の子を演じる。その子も自ら母親と同じような道を歩みそうな感じで映画は展開する。


サキ(吉村彩子)は、屋台を引いて生計をたてている母・圭子(珠瑠美)と二人暮らしの十六歳の少女。ある冬の日の午後、サキはボーイフレンドの外男と、自転車で海辺へ行き、初体験を済ませた。そのあと、サキは外男を追いやった。彼女は一人になりたかったのだ。ダンプカーの運転手のアタル(内田裕也)が遊子(水島美奈子)を乗せて国道を走っていた。その道をサキが自転車で走っている。彼女に気づいたアタルは、ドライブインで遊子を降ろすと、サキを追う。そしてデートをした二人は、そこで関係を結ぶ。

その後サキは子供を宿していたことがわかる。どちらの子であるか分らない。アタルは妊娠の事実をサキに聞くと、「産めよ」とやさしく言うのだった。一方、外男は堕胎費用を集め、彼女に渡す。でもサキはその金を投げ出す。ある日、サキはアタルの部屋に行くと、彼は遊子と絡み合っていた。嫉妬した彼女は、アタルの足を包丁で刺してしまうが、彼はそんな彼女をやさしく迎えるのだった。


1.内田裕也
演技という次元を通り越した存在感があった。個人的には寺島しのぶ主演「赤目四十八瀧心中未遂」で演じた彫師に脅威を感じる。こういうはぐれ者をなかなか演じる人はいない。まだ若かった時のこの役には凄みというのはない。海辺の静かな田舎町に暮らすトラックの運転手だ。バックに小林旭の「自動車ショー」がすっとぼけたように流れる。現在も風景は変わらないような場所で、ひたすらオンナと交わる。夕陽を浴びた船の上でいたすシーンが印象的だ。日活の名カメラマン姫田真佐久の腕前が冴える。



2.神代辰巳
中学から高校にかけて故萩原健一、水谷豊コンビの「傷だらけの天使」をよく見たものだ。その中でも深作欣二と神代辰巳が演出した作品は一番印象に残る。池部良の使い方がうまかった。日活で「黒薔薇昇天」という神代辰巳監督作品がある。当時18禁なのに見に行ったが、あまりの激しさにぶったまげた記憶が今でも残る。岸田森と谷ナオミの共演でからみが強烈すぎ。ワイルドだ。数多き日活P作品の中でも頂点に位置する。それだけにこの2作が気になった。


ここでも内田裕也に激しいカラミを要求する。まだ若い内田がそれに応えている。



3.珠瑠美
ませていたせいか、五反田の18禁映画館には中学生の頃からよく潜り込んだものだ。いわゆるピンク系は見ているといつも同じような俳優が出てくる。その中でも頻度が高かったのが、谷ナオミと珠瑠美であった。老け顔なのかなあ、当時30代前半とわかって驚く。しかも中年の女役が多い。ここでは屋台を引く主人公の母親役。男が替わるたびに新しい屋台をつくるなんて言って5台目だという。こういう男に依存しつつ、その男をダメにするなんて役は適役だ。珠瑠美のねっとりとした身体を見ても中学生の時は何とも感じなかったが、人間歳をとるとこういうのもいいかと思ってしまう。



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